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2006年04月28日

アチェ亡命政府の帰還と日本のODA

 インドネシアのアチェ州と聞けば、たいがいの人はスマトラ沖大津波(04年末)を思い浮かべる。日常生活でお世話になっている都市ガスや電気の原料はアチェ州から運ばれてきている、ということを知っている人は少数派だろう。同州で産出する天然ガスの最大の買い手は、日本の電力会社とガス会社だ。

田園の中に突如、巨大なガスタンクが現れる(アチェ州アルン地区。撮影:筆者)
田園の中に突如、巨大なガスタンクが現れる(アチェ州アルン地区。撮影:筆者)


 ムハマド・マリク議長はじめとするアチェ亡命政府のメンバーが19日、亡命先のストックホルムから帰還した。30年ぶりに故郷の土を踏んだのである。海外各種メディアは伝えたが、日本の大新聞や放送局が報道することはなかった(筆者の見落としかもしれないが)。日本人の多くが、電気やガスの原料がアチェで採れていることを知らないことと符号してはいないだろうか。

エネルギー権益の非情

 同州は16世紀から20世紀初めまでアチェ王国として栄え、独自の歴史・文化を持つ。70年代に天然ガスが発見されると、人々は独立を求めるようになった。中央政府は武力で押さえ込んだ。独立派は「GAM(Gerakan Aceh Merdeka)=自由アチェ運動」を組織し、武装闘争を挑んだ。内戦が始まった(76年〜)。

 天然ガス採掘・精製工場は、同州アルン地区にある。車で端から端まで飛ばすと20分以上はかかる。実に広大だ。工場は日本のODAを利用して作られた。日本はインドネシアへのODA最大供与国だ。政府開発援助という名の巨額資金は、インドネシア―アチェの内戦に深く関わっていたのである。天然ガスの権益をめぐって内戦となったのだから。

 独立を宣言し内戦に突入した76年は、ベトナム戦争で民族独立を掲げた北ベトナムが勝利した翌年のことである。隣のインドシナ半島で起きた革命は、アチェの独立に多大な影響を与えたはずだ。筆者はストックホルムの亡命政府を訪ねた。

 「ベトナム戦争ではソ連や中国が北ベトナムを支援した。アチェの場合、支援どころか逆だ。日本も韓国も米国も、アチェがインドネシアの一部であるほうが好都合だったのだ」。マリク議長は天を仰いだ。

 韓国は日本に次ぐ天然ガスの買い手。米国のエクソンモビルはアチェに独自の採掘・精製工場を持つ。イラク戦争が示すようにエネルギー権益をめぐる国際関係は非情だ。

津波がうながした和平

 最高指導者のハッサン・ディ・ティロ氏は、軍事訓練のためGAM兵士を率いてリビアに渡ったこともある。カダフィ大佐が米国相手に吠えまくっていた頃である。だが火力で圧倒的に勝るインドネシア国軍に対して勝ち目はなかった。内戦の勝敗は初めから目に見えていたと言ってよい。ティロ氏はじめアチェ政府のメンバーは亡命を余儀なくされた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のあっせんでスウェーデン政府が受け入れた。

 九州をひと回り大きくしたほどのアチェ州に兵力3万5000のインドネシア国軍が駐留し、独立武装勢力GAMを掃討するため山間部の村々を焼いた。米軍がベトナムで行ったように。GAM兵士はもとよりGAM兵士の疑いをかけられれば、拷問のあげく虫けらのように殺された(拷問の具体的内容についての記述は、今回は省く)。アチェの人々は息をひそめるようにして暮らしていた。

 04年末、アチェを津波が襲った。インドネシアの犠牲者16万人の大半は、アチェ州の人々だった。同州は壊滅的な打撃を受けた。中央政府にとっても亡命政府にとっても、内戦どころではなくなった。フィンランドやEUの仲介で和平が結ばれることになり、05年8月ヘルシンキで調印式が行われた。

特別自治州の行方占う試金石

 筆者は和平調印式を見届けた。マリク議長の顔はこわばり、蒼ざめていた。和平の条件として「独立」の旗印を降ろし、インドネシアの一部でよいとまで譲歩せざるを得なかったためだ。

和平調印式・05年8月。アチェ亡命政府マリク議長(握手する3人のなかで右側)の顔は険しかった(フィンランド政府庁舎で。撮影:筆者)
和平調印式・05年8月。アチェ亡命政府マリク議長(握手する3人のなかで右側)の顔は険しかった(フィンランド政府庁舎で。撮影:筆者)


 亡命政府のメンバーは和平調印から8ヶ月後に帰還したことになる。安全を見極めたかったからだ。国軍に対する恐怖、インドネシア中央政府への不信感の表れともいえる。最高指導者ティロ氏は体調不良のため帰国を2ヶ月遅らせるという。

 メンバーは長年の亡命生活でインドネシア国籍を失っている。ロイター通信によれば、政府はメンバーの帰国にあたって有料でビザを発給した。

 8月にはアチェ特別自治州議会の選挙が行われる予定だ。亡命政府メンバーの立候補が本当に認められるのか。特別自治州の行政府には、外交、軍事、金融以外の権限が確実に与えられるのか。新生アチェが自治州と呼べるに値するかを量る試金石となる。
posted by 田中龍作 at 00:00| Comment(0) | インドネシア(アチェ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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