スカイツリーの威容と炊き出しを待つ山谷の路上生活者。(31日、墨田公園。写真:筆者撮影)
「半分までの高さに届いた」「最寄り駅の名称を『業平橋』から『スカイツリー駅』に改名した」・・・東京スカイツリーをめぐる新聞・テレビの報道はオメデタイものばかりだ。各社とも完成した際の広告を当て込んで批判めいたことは書かない。
マスコミ報道とは裏腹にスカイツリーのお膝元の山谷一帯からは怨嗟の声もあがる。
スカイツリーの先代にあたる東京タワー建設の際は山谷から毎朝、大勢の日雇い労働者が港区芝の工事現場に出かけて行った。山谷は活気に溢れた。ところがスカイツリーの場合、全く地元山谷の雇用と結びついていない。
ゼネコンが4〜5次下請け会社を使うからである。そこで働く労働者は請負の形をとっているが、実際は発注元の指揮命令で動いているようだ。事実上の派遣労働との指摘もある。
かつて山谷の労働者たちは手配師から仕事の斡旋を受けていた。良きにつけ悪しきにつけ仕事にありつけていた。
だが派遣会社が雨後の竹ノ子のように登場すると、下請けの建設会社はコストの安い派遣会社に発注するようになった。手配師は役目を奪われてしまったのである。同時に山谷の労働者たちも仕事を失った。元山谷争議団幹部の一人は「手配師のシステムは壊れた」と言い切る。
スカイツリーはこの倍の高さになる。だが山谷の労働者に仕事は回ってこない。(31日、墨田公園。写真:筆者撮影)
大晦日の墨田公園を訪ねた。100人を超す路上生活者(ホームレス)や労働者のなかに炊き出しを待つ一人の男性(63歳)がいた。建設現場で働く鳶(とび)職人だった。男性は6月から仕事がなくなり、雇い主が失業保険にも入っていなかったので、すぐに路上に弾き出された。
「電話をかけて年齢を言うとすぐに断られる。仕事をしようにもできないよ。生きていけないねえ」。男性は淡々と語った。人生を諦めているようにも取れた。
筆者はスカイツリーを間近に見る感想を尋ねた。
「良くないねえ。第一色が良くない」。男性は言いつつもツリーの建設現場での鳶の作業を得々と語った。目を輝かせながら。働く気力も体力も十分あるようだ。
働き盛りの世代は派遣の低賃金労働で貧しい生活を強いられ、熟練労働者には仕事さえ回ってこない。こんな国に将来はない。
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