
米軍車両の残骸。路肩爆弾で破壊されたと見られる。米軍の苦戦を物語る。(カブール郊外。写真:筆者撮影)
拙宅にはNYタイムズの世界同時発行版である『ヘラルド・トリビューン』が毎朝届く(皆様のご支援あればこそです)。紙面にアフガン現地からのリポートが載らぬ日はない。記事は無辜の市民への誤爆や米軍部隊の犠牲が中心だ。すべて写真付で大きく扱っている。
ベトナム戦争以上の泥沼と言われる「テロとの戦い(アフガン・イラク侵攻)」の大儀を問い直す声が欧米でうねりとなりつつある。NYタイムズが毎日欠かさずアフガン報道を続けるのも、その動きのひとつだ。
日本は真っ先駆けて米国のアフガン・イラク侵攻に追随した。にもかかわらず、国民やメディアから大儀を問う声はさほど大きく上がらない。マスコミは朝から晩まで小沢叩きと政局報道だ。
失業者は増え、人口の減少に歯止めがかからない。国力が落ちることは高校生にもわかる理屈だ。尖閣事件の対応は検察任せ、沖縄基地問題は打開の糸口さえ見えない。内政、外交ともに機能していないのが現状だ。破綻政府である。
大手マスコミは目先の株価と政局報道に明け暮れ、国家的な命題を正面から問うことをしない。ばかりか当局リーク垂れ流しの虚報を重ねる始末だ。
国民はネットの発達によりマスコミに頼らずとも事実を知ることができるようになった。当然、国民の新聞・テレビ離れは進む。「カネを払ってまで嘘を知らされてたまるか」という反発も理由のひとつだ。
記者クラブメディアは、自らの「ガラパゴス化」に気づく気配さえない。政権は新聞・テレビを向いて政治をする。オールドメディアにかつての影響力はないのだが、思い込みと惰性がそれを続けさせる。日本は猛烈なスピードで進化する国際社会から取り残され、早晩アジアの後進国となるだろう。
フリージャーナリストが閉塞状況に風穴を開けることができるかと言えばそうとも言えない。収入源に乏しいフリー記者は絶滅危惧種とも呼ばれている。
2011年は「記者クラブ解体元年」か、それとも「フリー記者絶滅元年」となるのか、試練の年となりそうである。
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田中龍作の取材活動は読者に支えられています。
現実の世界を現在時制の内容で表現すると、非現実の世界は未来時制の内容として表現できる。
現実の世界と非現実の世界は、英語では一対一の対応がある。
そして、現在時制の内容に対応した未来時制の内容が過不足なく考えられる。
真実は現実の中にある。が、真理は考え (非現実) の中にある。
現実は真実である。現実の内容として述べられる非現実は嘘である。
時制がなく、現実と非現実の区別がつかなければ、本人は嘘ついてるという自覚はない。
話の内容が現実離れしていることに違和感がない。
現実の内容は五感の働きにより得られるが、非現実の内容は瞑想により得られる。
現実の世界が過不足なく成り立つように、考えの世界も過不足なく成り立っている。
もしも、考え (非現実) の世界に矛盾があれば、それを見つけて訂正しなければならない。
自他が協力して構想の中の矛盾を丹念に淘汰すれば、非現実の世界は現実の世界と同じ広がりと正確さをもち、場当たり的な発言の内容とはならない。
日本語脳は、非現実の内容を脳裏にとどめ置くことができない。
それは、日本語には時制がないからである。
日本人は常に実を求めている。現実にとどまることのみを信じている。
日本人の考えは、現実の外に出るものではない。
現実を現実の外にある理想に導くものではない。
西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないからである。
英語の時制を使うことができない英米人は、子供のようなものである。
だから、非現実の世界を考えることができない日本人は、12歳の子供のように見える。
考えがなければ、議論ができない。
日本では「議論をすれば、喧嘩になります」と言われている。
意思は未来時制の内容である。
時制が無ければ、恣意となり、その思いは公言にもならず宣言にもならない。
物事の決着は、談合により行われる。
そこには、公言も宣言も必要でない。
意見を述べようとすると「理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる」と言って相手にしない。
もっぱら恣意と恣意のすり合わせを行って決着する。いわゆる、どんぶり勘定である。
和をもって貴しとなすためには、金を配るしかない。これも馬鹿の一つ覚えか。
現ナマは、現実の内容であり、日本人には信用の証となる。
究極の人生目的は、狭義の自己利益・金を得ることにある。
国内では、学閥など序列を作って自己利益を確保しようとする。それで、忠義が尊ばれている。
人間が縦一列に並んで他を入れない密な人間関係である。
序列作法の励行により、序列の外に出られない島国根性が植えつけられる。だから、玉砕を覚悟する。
国内においても、国際社会においても、日本人は金を配って存在感を示そうとする。
これもひとえに社会の中での序列順位向上のためである。
だが、日本人は内容のない発言により信用を失うことが多い。
それでも、日本人は人類のために貢献している。
だが、その貢献の仕方は、発言のない家畜が人類に貢献するのと似たところがある。
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