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2010年07月02日

スリランカ取材助手の無事を願う


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危ない目に遭いながらもマニカム青年は最後まで取材助手を務めてくれた【2005年、タミルタイガーの聖地キリノッチ県で。写真:筆者撮影】


 海外での取材が首尾よくいくか否かは現地助手の腕しだいだ。世界を揺るがすような特ダネも後にピューリッツァー賞受賞作となるストーリーの第一報も、大半は彼らがもたらす。
 
 2005年にスリランカを取材した時の助手が忘れられない。少数派民族タミル人の青年で、名はマニカムといった。正確な年齢は聞かなかったが、経歴などから察するに30歳に手が届くか届かないかだろう。

 タミル人の取材助手には大変なプレッシャーがかかった。多数派シンハラ人の政府軍と少数派武装勢力タミルタイガー(LTTE)の両方に気を使わなければならないからだ。内戦下にあって軍や武装勢力の機嫌を損ねれば、その晩のうちに消されることも珍しくない。
 
 筆者がタブーに踏み込みたがるため、マニカム青年の前任助手からは逃げられた。前任者は自らと同じ民族であるタミル・タイガー(LTTE)を恐れた。近隣に内通者がいるからだ。「誰が聞いているか分からないからLTTEに絡んだインタビューはしないでくれ」と言って眉を再三しかめた。

 マニカム青年も筆者がLTTEの少年兵を撮ろうとすると車のスピードを急加速させたりした。それでも軍が高度警戒区域に指定する場所などには、果敢に取材車を突っ込んでくれたりもした。
 監視所の将校に見咎められパスポートを没収されかかったこともあった。危ない橋を渡りながらもマニカム青年は最後まで助手を務めてくれた。

 軍に祖先伝来の土地を追われた農民や、浜辺からわずか1キロしか沖に出ることができない漁師の話を聞けたのもマニカム青年のおかげだ。

 取材日程を終え現地を発つ朝、空港に向かう筆者をマニカム青年がバス停まで送ってくれた。軍事空港であるため指定されたバスでしか入れないのだ。バスを待つ間の会話は辛いものだった――

 「俺を日本に連れて行ってくれよ」。

 「それは難しいけど、今度スリランカに来たら、またマニカムに頼むよ」。

 「どうせ俺のことなんて忘れるんだろ」。

 25年間も続いた政府軍とLTTEの内戦は昨年5月終結したが、最終局面でタミルの人々は「人間の楯」となった。雨あられと降り注ぐ砲弾をかいくぐった人々は内戦終結後、劣悪な環境の難民キャンプに収容された。

 国境なき医師団の日本人医師によれば「キャンプの衛生状態はひどく、疾病者は医師の治療を満足に受けることができない」。相当な数のタミル人が命を落としているであろうことは容易に察しがついた。

 マニカム青年の無事をひたすら祈るばかりだ。取材助手を依頼する日が再び来ることを願いつつ。
posted by 田中龍作 at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | スリランカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

スリランカ「難民収容所を解放」のまやかし

 
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タミルの人々の安否が気がかりだ。(スリランカ最北部のジャフナで。写真=筆者)


 スリランカ政府は21日、反政府武装組織LTTE(タミル・タイガー)との内戦が終結した直後から「避難民キャンプ」に収容していたタミル人13万5千人を来月1日から一時解放することを明らかにした。

 同国北部のワウニア県にある「マニック・ファーム難民キャンプ」の劣悪な生活環境をめぐって、国連、EU、人権団体などから寄せられる厳しい批判を交わすのが狙いだ。19日には国連のジョン・ホルムス人道支援担当事務次長がキャンプを視察し、「タミル人を帰還させるよう」強く求めた。

 ところがスリランカ政府は、タミル人の帰還は1日あるいは2日間に限定する、としている。その後は別のキャンプに再収容する方針だ。

 生まれ育った地への永久帰還は認められない。「まやかし」の解放である。スリランカ政府は再収容する理由を「LTTEとつながりがないかをスクリーニングにかけるため」と説明する。

 明らかな口実だ。タミル人地域では最北部のジャフナ県を除くと、内戦が最終局面を迎えるまでLTTEの治世が続いていたのである。裁判所、教育委員会、警察などあらゆる行政機関をLTTEが運営していた。これでLTTE と関わりを持たないタミル人を探すのは至難の業だ。

 多くの親は少年兵を求めるLTTEに子供を誘拐されたり、差し出したりしていた。れっきとした被害者でありながら、スリランカ政府に「LTTEとつながりがある」と判定されればそれまでだ。

 キャンプにジャーナリストや人権団体が入ることは認められないので、実態は明らかにされていない。医療支援のために入った医師などから、キャンプ内のようすが漏れてくるだけだ。

 8月から6週間に渡ってキャンプ傍の病院で診療を行っていた久留宮隆医師によると、上下水道の区別もないなど衛生環境は劣悪だ。医師の診察を受けることができる収容者も限られている、という。実態は強制収容所に近い。

 内戦の最終局面で政府軍に追い詰められたLTTEは、同族であるタミル人の非戦闘員を人間の楯にとって防戦した。「マニック・ファーム難民キャンプ」に収容されているのは、人間の楯とされた人々だ。

 当初は30万人が同キャンプに詰め込まれていた、とされている。政府の発表によれば現在の人数は、13万5千人だ。16万5千人はどこに消えたのだろうか。別のキャンプに移されたと見る向きもあるが、実態は闇の中だ。
posted by 田中龍作 at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | スリランカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

スリランカ〜検問所の向こうは強制収容所

 
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難民キャンプのあるタミル人地域と多数派のシンハラ人地域を分ける検問所(ワウニア県境で。写真=筆者撮影)


 スリランカの少数民族タミル人25万人が閉じ込められたままの「マニックファーム難民キャンプ」は、事実上の強制収用所だ。

 政府軍と反政府武装勢力LTTE(タミルタイガー)による内戦の最終局面で住み慣れた所を追われたタミル人をスリランカ政府が囲い込んだ。LTTEの再結集を防ぐため、というのが表向きの理由だ。

 下水と上水の区別もない劣悪な衛生事情。病気やケガに苦しんでいても満足に治療を受けられない。キャンプ傍の病院で収容者を診療してきた医師の久留宮隆さんがそれらを告発している。国連や人権団体は「タミル人をただちに帰還させるよう」、スリランカ政府に求めているが、応じる気配はない。

 「マニックファーム難民キャンプ」のあるワウニア県は、支配民族シンハラ人居住地域とタミル人居住地域の境にある。洋なしのような形をしたスリランカの北部だ。

 内戦が続いていた頃、県境の検問所(写真)をくぐるには、政府軍とLTTEの両方のチェックを受けた。トラックは荷物をすべて降ろさせる。それが2度だ。検問所の通過は一日仕事だった。タミル人地域に生活物資が満足に行き渡らないのも当然だった。


難民キャンプ収容者の治療にあたってきた久留宮隆医師の告発

http://tanakaryusaku.seesaa.net/category/6453740-1.html
posted by 田中龍作 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | スリランカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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