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2009年10月22日

「スリランカ難民キャンプの惨状」〜日本人医師が語る

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「重症患者がもっと多いはずだ」と久留宮医師(都内で。写真=筆者撮影)


 少数民族タミル人の武装勢力LTTEと政府軍が26年間に渡って戦ってきたスリランカ内戦が終結して5ヶ月が経つ。「民間人に紛れ込んだLTTEの再結集を防ぐため」との理由でスリランカ政府が設けた難民キャンプにはタミル人25万人が強制収用されたままだ。

 人道上の見地から国連は改善を促しているが、スリランカ政府は応じる姿勢を示さない。ジャーナリストや人権団体も近づくことが許されない難民キャンプの人々の治療にあたった日本人医師がこのほど帰国、惨状を明らかにした。

 久留宮隆医師(1959年生まれ・外科医)は、スリランカ北部のワウニア(地図参照)に設けられた「マニックファーム難民キャンプ」傍の病院で8月下旬から6週間にわたって診療を続けてきた。以下、久留宮医師の話を記す――

 病院のスタッフは内科医7〜8名、外科医2名、麻酔医2名、看護士10数名。難民キャンプの一角が見えるほどの所にあるのだが、アクセスは制限されている。朝、キャンプ内の診療所に並び、医療が必要であると判断された人が、バスなどに乗せられて病院に来る。着くのは夕方。

 1日の患者数は外科に40〜50人、内科に30人位。外科手術は1日、10例から14〜15例でほとんどは爆弾の破片を体内から除去する手術だった。久留宮医師も毎日のようにメスを握った。

 (内戦の最終局面で人間の楯とされていたことやキャンプ内の衛生事情などを考えると)医療ニーズはもっとあるはずだ。かなりの数がネグレクトされているのではないだろうか。

 人間の楯で砲弾の破片を浴びた人の割合は、キャンプ収容者全体の数十パ−セントに上るものと見られる。(上水と下水の区別がない劣悪な衛生事情も手伝い)内科は髄膜炎、マラリアなどの感染症が主だった。(人口密度の極めて高い)キャンプで発症しているということを考えると、患者はもっと多いはずだ。それも重症患者が。だが、病院に来たのは軽症患者だったという印象が強い。

 9月26日、軍が収容者に発砲し、子供が負傷する事件が起きた。久留宮医師はそれを知らされておらず、「銃で撃たれた人が来た」と言われて手術にあたった。負傷したのは女の子(4歳)と男の子(6歳)だった。男の子は軽症だったが、女の子は銃弾が左胸から背骨を貫通して右胸に抜けていた。何とか一命は取りとめたが、下半身マヒが残った。

 狭い所に閉じ込められて移動の自由を禁止されたことへの不満からイザコザが起き、軍が発砲、流れ弾が2人の子供に当ったということだった。

              ーー久留宮医師の話はここまでーー
 
 キャンプ収容者25万人のうち16万人についてはLTTEではないとするスクリ−ニングが済んだ、とされている。スリランカ政府にはこれらの人々を拘束する正当な理由はない。

 スリランカは11月には雨期に入る。スクリーニングが済んでいない収容者も含めて適切な場所に移動させなければ、「第2次災害」が発生する。ODA最大供与国の日本政府は、難民の早期帰還をスリランカ政府に働きかけるべきだ。

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スリランカ。難民キャンプのあるワウニアは北部中央。
posted by 田中龍作 at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | スリランカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月30日

【世界写真紀行】爆弾でアゴを飛ばされた女性 〜スリランカ

 

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LTTE女性ゲリラ兵士(05年、キリノッチ県で。写真=筆者撮影


 スリランカの内戦がまだ続いていた頃、反政府武装勢力「タミル・タイガー(LTTE)」の完全支配地域であるキリノッチ県を訪れた。幹線道路沿いで女性ゲリラ兵士を見かけたので撮影を申し込むと気軽に応じてくれた。右アゴは幼い頃、爆弾の破片があたり吹き飛ばされたのだそうだ。女性は悲惨な体験をにこやかに語ってくれた。その明るさに筆者は驚いた。気圧され、しばらく言葉が出なかった。

 女性ゲリラ兵士を見かける度にカメラのシャッターを切った。レンズの中には、日本で見かけるあどけない女の子と何ら変わらぬ姿があった。


内戦に隠れた文化と暮らし
posted by 田中龍作 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | スリランカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

スリランカ タミル人に海を返す時が来た

 26年間に渡って小国スリランカを苛んできた内戦が終結してほぼ1ヶ月が経つ。反政府武装勢力のLTTE(タミル・イーラム解放の虎)により「人間の楯」とされていた25万〜30万人のタミル人は、政府が設けた避難民キャンプで過酷な日々を送る。

 LTTEの再結成を懸念する政府が、タミル人たちの帰還を認めないからである。現地からの報道によれば、LTTEとの関わりを疑われた男性たちや少年兵と見られた子供たちが姿を消している、という。政府軍の手によって拷問されたあげく抹殺されているとの見方が有力だ。

 事実上の首都コロンボを空爆され最高幹部が自爆テロで殺害されるなど政府軍は、LTTEのゲリラ戦術に手痛い目に遭ってきた。「落ち武者狩り」を徹底する事情だろう。海上でもピリピリとした警戒が続いている。

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タミル人漁師はわずか1キロ沖までしか出漁を許されない。舟もエンジン付は禁じられている(写真:スリランカ北東部で筆者撮影)


 スリランカ海軍が4日、北部の公海上でシリア船籍の輸送船を拿捕する事件があった。船はイギリス・イプスウィッチを出港、フランス・マルセイユを経てスリランカに向かっていた。

 884トンの積荷の中味について政府軍は明らかにしていない。荷主である在欧タミル人慈善団体は「食料や医薬品。テロとは関係ない」と断言する。政府軍は「LTTEの武器や兵員輸送に使う船」と見る。

 火力・兵力で圧倒的に劣るLTTEを支援してきたのは、欧州やインド・タミルナド州をはじめとする在外タミル人たちだった。件の船がシリア船籍だったこともあり、政府軍はテロと関わりがあるものと見て拿捕した。

 海からLTTEに軍事物資や資金が渡ることにに、政府軍は神経を尖らせてきた。とばっちりを食らったのがタミル人漁師たちだった。操業範囲を海岸からわずか1キロだけと制限されたのだった。船もエンジン付は禁止された。漁師たちが使っているのはイカダのような原始的な小舟だ。

 海軍基地の建設で先祖代々の漁村から別の浜辺に追いやられた漁師たちを、筆者は05年に訪ねた。スリランカ最北端のジャフナ県だ。沖合い1キロの地点にブイが浮かべられていて、それ以上沖に出た漁師は政府軍からメッタ打ちにされる。殺された者も多数いる。漁師が外国船とLTTEの中継ぎをするものと政府は見ていたのだ。

 沖に出られなければ当然収穫量は減る。「1日の平均収入500ルピー(約500円)だったのが、50〜100ルピー(50〜100円)に減った」。ある漁師は嘆いた。

 政府軍の大攻勢でLTTEは壊滅した。カリスマ的指導者のプラバカラン議長の死も確認された。再結成など夢のまた夢である。政府軍が出漁制限を解き、タミル人漁師たちに海を返す日が一日も早く来ることを願ってやまない。

 
posted by 田中龍作 at 20:39| Comment(0) | スリランカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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