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2005年12月26日

進まぬ津波からの復興〜悪循環の構図〜

 10月上旬から先月初旬までスリランカを取材した。昨年末、同国を襲った津波災害からどこまで復興したのかをこの目で見たかったからだ。内戦の行方も気がかりだった。前回、訪れたのは津波直後だった。1年が経とうとしている被災現場に再び足を運んだ。伝染病の発生を防ぐために村ごと焼かれた炭の匂いは、すでにない。

津波で運ばれてきた小岩をリレーで除去する。渚ではリレーの列が3つも4つも見られた。1年近く経った今も、漁は以前のペースには戻らない(スリランカ最北端のポイント・ペドロで。撮影:筆者)
津波で運ばれてきた小岩をリレーで除去する。渚ではリレーの列が3つも4つも見られた。1年近く経った今も、漁は以前のペースには戻らない(スリランカ最北端のポイント・ペドロで。撮影:筆者)


 同国では多数派のシンハラ人(人口の74%)政府軍と少数派タミル民族(人口の14%)の独立を目指す武装組織「タミル・タイガー」との間で、83年から内戦が続いている。シンハラ人は主に仏教徒。タミル人はヒンズー教徒が中心だ。厳しい宗教対立がある。20年間の内戦で非戦闘員を含む6万人が死亡、100万人が国内外難民となった。02年からノルウェーの仲介で停戦状態となっている。

 スリランカの津波の被害は東部に集中した。北部にも津波は押し寄せた。東部は震源地のスマトラに面しているから必然的にそうなる。北部、東部はスリランカの少数民族タミル人が暮らす地域だ。

 内戦の最激戦地だったジャフナ半島は、津波の被害も大きかった。ここは人口の9割以上をタミル人が占める。1割未満のシンハラ人は、政府軍の基地に駐屯する兵士だ。同半島は占領地なのである。

 ジャフナ半島最北端の漁師町ポイント・ペドロの浜辺では漁師の家族たちが、腰まで海につかりながら小岩を片付けていた(写真)。一族郎党が総出だ。津波で運ばれてきた小岩で魚網が破られるという。後遺症は海の中まで残っている。「水揚げは津波前の水準まで戻っていない」漁師たちは異口同音に言う。

政府軍に追いやられ津波に

 ポイント・ペドロの被災者の多くは、津波と内戦の二重被災者だ。内戦前は海岸から1キロ近く内陸の空港周辺に住んでいた。ところが政府軍は空港とその周辺を基地化し、住民たちを追い出した。なかでも漁師たちは、海岸のすぐそばに設けられたキャンプに強制移住させられた。そこを津波が襲ったのである。

 ある被災キャンプを訪ねた。狭い一角にヤシとトタン葺きの仮設住宅がひしめく。10世帯60人余りが暮らすのだが、トイレは共同トイレがひとつあるだけだ。生活排水は垂れ流しで、悪臭が鼻をつく。

 キャンプの住民は地主から立ち退きを迫られている、という。漁師のアルラーンさん(仮名・49歳)は「津波と内戦がなければ、こんなことにはならなかった」と憤る。アルラーンさんは、4人の息子を「タミル・タイガー」の軍事訓練キャンプに送り出している。「タミル・タイガーは少年兵を徴兵している、とメディアは伝えていますが」と筆者は問うた。アルラーンさんは「そんなことはない、自主的だ。息子たちが(政府軍に)リベンジして土地を取り返すのだ」と、力を込めて語るのだった。津波禍は政府軍への敵意を増幅させているようだ。

 不幸は重なる。政府軍基地の外周に敷設してあった地雷が、津波であちこちに流されたのだ。同国最大のNGO「サルボダヤ」が、注意を促して歩いている。キャンプにも同NGOのエイドワーカーが訪れ、写真紙芝居を使いながら流出地雷の危険性を説いていた。エイドワーカーの一人、ラジェニカさん(22歳・女性)自らも、地雷で右足を失っている。ヒンズー教と仏教の国でありながら、この国には「神も仏もいない」のだろうか。

チェックポイントと劣悪な通信事情

 同国北東部に行くには「タミル・タイガー」の支配地域を通過しなければならない(空路であれば必要ない)。通過する際は、二重のチェックポイントがある。タイミル・タイガーと政府軍のそれだ。軍事物資、軍事転用物資がないかを厳しく調べる。トラックの場合、荷物を全部降ろさせるので、「一日がかり」となる。

 苦労してタミル・タイガー支配地域に入ると、通信事情は極端に悪くなる。携帯電話は全く通じない。基地局がないためだ。これも政府による封じ込めの一環である。固定電話も限られた所にしかない。政府軍が占領するタミル人地域のジャフナ半島も通信、道路事情は劣悪だ。スリランカ人口約2000万人のうち14%をしめるタミル人が暮らしているにもかかわらずだ。

 「通信事情の悪さとチェックポイントの存在が、(津波からの)復興を遅らせている」と援助関係者は説明する。確かにその通りだった。内戦→タミル人封じ込め→進まない復興→政府軍への敵意→終らぬ内戦……。あえて突き放した言い方をすれば、津波は悪循環のエネルギーを大きくしただけだった。

救援機関のタンクから水を汲む子供。津波直後の光景ではない。先月撮ったばかりの写真だ。ある主婦は「飲料水が足りない」と嘆いていた(ポイント・ペドロで。撮影:筆者)
救援機関のタンクから水を汲む子供。津波直後の光景ではない。先月撮ったばかりの写真だ。ある主婦は「飲料水が足りない」と嘆いていた(ポイント・ペドロで。撮影:筆者)
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2005年02月14日

津波バブル

廃墟の漁村でかろうじて残った井戸
廃墟の漁村でかろうじて残った井戸


タミール・タイガーが被災民をリクルートに来ないように警備する特別警察隊
タミール・タイガーが被災民をリクルートに来ないように警備する特別警察隊


海岸沿いを走っていた列車は津波で内陸部へ流され、乗客約1500人が死亡した。1カ月ぶりに波を受けた当時の場所に戻された
海岸沿いを走っていた列車は津波で内陸部へ流され、乗客約1500人が死亡した。1カ月ぶりに波を受けた当時の場所に戻された


 コロンボからプロペラ機でスリランカ最北端のジャフナ県に入り、津波で被災した東海岸沿いを車で南下した。目にするのは全壊し、廃墟となった漁村ばかりだった。12月26日以前、ここに人々の生活は本当にあったのだろうか。そう思わずにはいられないほど村々は破壊されていた。

 国の北部、北東部はタミール人の多数地域だ。だが、反政府武装勢力タミール・タイガー海軍にあたる「シータイガー」の基地があるキリノッチ県をのぞけば、至る所に政府軍のベースがある。
 
 タミール・タイガーは幹部を除けば、日常は漁師、農民であったり、ホテル経営者であったりする。タミール人多数地域に政府軍は武力で駐留するのだから、緊張は自ずと高まる。タミール人多数地域に出入りする際、政府軍、タミール・タイガー双方のチェックが厳しいのは、このためだ。

 タミール人、シンハラ人、ムスリムの居住区がまだら模様となる地域も少なくない。軍や警察は警備に神経質になる。シンハラ人が握る政府が同民族の避難所警備を手厚くするのは、20年にわたる内戦を考えれば当然のことだろう。津波の後、政府はタミール人避難所警備に特別警察隊を配置した。タミール・タイガーがタミール人をリクルートに来ないようにしているのだという。

民族対立と貧困の構図

 南下するにつれパゴダ(仏舎利塔)が目につくようになる。南部は支配民族であるシンハラ人が圧倒的多数を占める地域である。幹線道路沿いには商店も多く、店先の品物も豊富だ。スリランカは北部よりも南部の方が豊かであることが町の風景からもわかる。

 スリランカの軍事費は5億1800万ドル(03年)で国家予算の11・4%を占める(日本は5・9%=04年度)。貧国の虎の子であるはずの国庫を、膨大な軍事費にあてるのだから、国はいつまでたっても豊かにならない。

 政争は絶えない。クマラトゥンガ大統領は、かつて非合法化されていた仏教急進政党を取り込むことで、かろうじて政権を維持している状態だ。タミール・タイガーとの緊張が生まれ易い構図がある。

 こんなスリランカを津波が襲った。沿岸部のどこに行っても見かけるのは、海外からのNGOの姿だ。津波の救援、復興にヨーロッパや日本などから70団体がスリランカに駆けつけ、活動している。

 津波の被害に遭った漁船が約1万8000艘なのに対し、海外NGOから2万艘のオーファーがある、という。被災民は海外NGOが金や救援物資を持って来てくれることを知り尽くしていて、惨状を上手にアピールする。海外からの衣服が屋外に放置されたままの村もあった。

 NGOといえども無給ではない。国の経済力を反映し、ヨーロッパなどのNGOの方がスリランカよりもはるかに高給だ。地元NGOで月給1万ルピー(約1万円)で働いていたスタッフが、7万ルピーで海外NGOに引き抜かれたケースもあった。有能なスタッフを失った地元NGOは頭を抱える。

 津波バブルが去った後、和平や復興にどう取り組むのか、スリランカは正念場を迎える。(スリランカ取材記はこれで終了です)

橋が流された村では、カナダ軍がボート輸送する
橋が流された村では、カナダ軍がボート輸送する


避難所の台所の屋根と壁を作るためヤシの葉を切り出しにきた女性
避難所の台所の屋根と壁を作るためヤシの葉を切り出しにきた女性


津波で根こそぎ倒されたヤシの木(撮影:いずれも筆者)
津波で根こそぎ倒されたヤシの木(撮影:いずれも筆者)
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2005年02月09日

避難所警備と民族事情

サムグラガーマ村避難所に届いた「日本紛争予防センター」からの救援物資
サムグラガーマ村避難所に届いた「日本紛争予防センター」からの救援物資


サムグラマーガ村避難所を警備する政府軍兵士
サムグラマーガ村避難所を警備する政府軍兵士


公民館にはそぐわない緊張感が漂う
公民館にはそぐわない緊張感が漂う


【スリランカ・トリンコマレ発】 トリンコマレ県は、シンハラ人(仏教)、タミール人(ヒンズー教)、ムスリムが混在する。政府軍の支配地域だ。ジャフナのようにヒンズー教の寺院は目につかない。パゴダ(仏舎利塔)が存在を誇示するかのように尖塔を空に向かって突き出している。

 同県では津波により1070人が死亡、8万1597人が家を失った。シンハラ人、タミール人、ムスリムはそれぞれ村ごとに分かれて住んでいるので、避難所も3者別々となる。

 スリランカは、人口の74%を占めるシンハラ人がタミール人(同18%)とムスリム(同7%)などを支配する国だ。83年から20年にわたって、シンハラ人が握る政府軍とタミール・タイガー(タミール人の反政府武装組織)との間で、内戦が繰り広げられてきた。ノルウェーの仲介で2002年から(一時)停戦している。「撃ちかた止め」の状態だけだから、国内の緊張は継続中だ。

 シンハラ人地区(仏教)のサムグラガーマ村を訪ねた。家を失った人々は、村の公民館を避難所にあてている。現在、約300家族がここで生活する。スリランカ国旗がはためく敷地の周りは鉄条網が張られ、政府軍が厳重に警備する。

 詰所となる軍用テントさえ設けられ、公民館にはそぐわないものものしい雰囲気だ。津波の2ヶ月前、シンハラ人の政治指導者がタミール・タイガーの旗を焼く事件がトリンコマレ県で起きたからだ。死者は出なかったもののタミール人とシンハラ人は双方デモを掛け合い、政府軍が鎮圧したほどだった。

 10キロほど南に離れたサリ村では、タミール人625家族が避難生活をしている。こちらはビニールテント暮らしだ。テントの中は蒸し風呂のように暑い。ただでさえ赤道にほど近いスリランカだ。スリランカで活動を続ける日本のNGO「日本紛争予防センター」が、1月29日から仮設住宅の建設を始めた。

 タミール人は内戦中、戦闘で3回も4回も住み慣れた家と土地を追われた。停戦合意(02年)し、安住への希望が見えかけた矢先の津波災害だった。サリ村避難所警備にあたる政府軍の兵士はわずか2人だった。

泣きながらテントから出てきた男の子。サリ村避難所で
泣きながらテントから出てきた男の子。サリ村避難所で


仮設住宅の建設が進むサリ村避難所(撮影:いずれも筆者)
仮設住宅の建設が進むサリ村避難所(撮影:いずれも筆者)


地図
地図
ラベル:スリランカ LTTE
posted by 田中龍作 at 00:00| Comment(0) | スリランカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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