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2008年10月15日

ゲリラ指導者、30年ぶり帰国〜日本のODAとアチェ内戦〜

 インドネシアからの分離独立を目指していた武装組織「GAM=Gerakan Ache Merdeka(自由アチェ運動)」指導者のハッサン・ディ・ティロ氏(83)が11日、30年ぶりに亡命先のスウェーデンから帰国した。

 アチェ内戦(※)の和平を仲介したアハティサーリ元フィンランド大統領が2008年のノーベル平和賞を受賞し、身の安全が保証されたと見極めたためと見られる。

GAM指導者のティロ氏(ストックホルムのアチェ亡命政府で筆者撮影)
GAM指導者のティロ氏(ストックホルムのアチェ亡命政府で筆者撮影)


 ティロ氏は1976年、ナングロ・アチェ州の独立宣言文を起草、武装勢力GAMを率いた。80年代にはメンバーと共にリビアに渡り、軍事教練を受けた。カダフィ大佐が「打倒米国」と咆哮していた頃である。

 だがGAMは、兵力、火力ともに圧倒的に勝る国軍の前に敗走を重ねた。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、インドネシア政府に命を狙われていたGAM首脳部を、スウェーデンに亡命させた。

 首都ストックホルム郊外にある「アチェ亡命政府」を筆者は2005年7月、訪ねた。中央政府とGAMとの和平交渉は大詰めを迎えていた。

 ティロ氏に30年間の闘いを聞くのがインタビューのねらいだった。だがティロ氏は2000年に脳梗塞を患ったこともあり、こちらの言葉に対する反応は鈍く、時折舌がもつれる。耳は遠くなっていた。インタビュー中、いびきをかいて眠りに陥ったりもした。

80年代にはリビアで軍事教練も。中央がティロ氏(亡命政府提供)
80年代にはリビアで軍事教練も。中央がティロ氏(亡命政府提供)


 アチェで撮影してきた写真のプリント20枚ほどを差し出した。1枚、1枚を懐かしそうに見つめていたティロ氏の眼光がいきなり鋭くなった。ユドヨノ大統領の顔がプリントされたTシャツを着たアチェ男性の写真を手にした時だ。「インドネシア・ガバメント、ノー!」と言い、写真をテーブルに叩きつけたのだ。老いたりとはいえ、地元ではカリスマである武装勢力リーダーの迫力を感じさせた。

 健康不安のあるティロ氏に代わり、亡命政府を仕切ってきたのがマリク・マフムド議長だ(69)だ。ヘルシンキでの和平協議、EUへの支援依頼など一切の交渉事を手がける。

 マリク議長は2年に1度アチェに帰り、ゲリラ戦を続ける同志に細かい指示を与えてきたという。筆者は驚きかつ心配した。「国軍に見つかると拷問に遭いますよ」と聞くと、議長は「十分に心得ている。それでも帰る」と笑って答えるのだった。

 大詰めの和平交渉にあたる議長の心境は穏やかではなかった。交渉を妥結させるためには「独立の旗」を降ろさねばならない。多くの同志が独立を目指し、命を失った。犠牲となった同志のためにも簡単に旗は降ろせない。

 ところがインドネシアは前年(2004年)末、大津波に襲われ16万人もの死者・行方不明者を出した。大半はアチェの住民だった。アチェの人々の生活を守ることの方が独立よりも優先する事態となったのだ。皮肉な見方をすれば、津波は彼らが振り上げた拳を降ろす格好の機会となったのである。

 ハッサン・ディ・ティロ氏が独立宣言を起草した1976年は、ベトナム戦争で民族自決を掲げる北ベトナムが米国に勝利した翌年だった。マラッカ海峡を挟んで隣にあたるインドシナ半島で起きた革命は、アチェの独立運動にも多大な影響を与えた。

 ベトナム戦争では中国や旧ソ連などが北ベトナムと民族解放戦線を支援した。ところがアチェの場合はその逆だった。天然ガスなどの地下資源に恵まれていたため、米国、日本、韓国などはアチェがインドネシアの一部であった方が好都合だった。アチェの広大な天然ガス工場は日本のODAで建設されたもので、ガスの最大顧客は日本だった。

 カリスマ的人気を集めるティロ氏の帰国は、来春に予定されている自治州議会選挙に少なからず影響を及ぼすと見られており、中央政府は神経を尖らせている。29年間に渡って国軍とゲリラ戦を続けてきた「GAM(自由アチェ運動)」の元メンバーが政党を立ち上げ立候補するからだ。

 州都バンダアチェで開かれた帰国セレモニーには、ハッサン・ディ・ティロ氏を見たことがない若い世代を含め数万人が集まり、中央モスク前広場を埋め尽くした。マザーランドの独立にすべてをかけた男の人生は無駄ではなかった。

◇ ◇ ◇


(※アチェ内戦)

 かつてアチェ王国として栄えたナングロ・アチェ州は、独自の言語・文化を持ち、天然ガス、石油などの地下資源が豊富なことから、インドネシアからの独立を望んできた。

 アチェを手放したくない中央政府は軍事力で押さえ込もうとし、独立派武装勢力のGAMとの間で30年間にわたり内戦が続いてきた。非戦闘員の市民を含めた犠牲者の数は約1万2千人〜1万5千人に上る。

 2005年8月、インドネシア中央政府とGAMは和平に調印し、内戦に終止符が打たれた。
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2006年12月10日

津波から2年、進まぬアチェの復興

 写真の上の方、向こう側を御覧頂きたい。荒れ野原が広がっているように見えるが、そうではない。家屋という家屋が津波によってなぎ倒された跡である。一軒一軒が粉々に破壊されていた。「原型を留めない」などという類の生やさしいものではなかった。インドネシア最西端のアチェ州である。

画面上方は荒れ野ではない。無数の家屋が津波でなぎ倒された跡である(場所:3枚ともアチェ。撮影:いずれも筆者)
画面上方は荒れ野ではない。無数の家屋が津波でなぎ倒された跡である(場所:3枚ともアチェ。撮影:いずれも筆者)


 スマトラ沖大地震・津波から間もなく2年が経つ。発生直後から現地で活動を続ける国際的援助団体「オックスファム」が7日、住宅・土地問題に関する報告を発表した。インドネシア政府による復興事業の余りもの遅さに改善を促す内容になっている。

 アチェは震源地の間近だっただけに被害は凄まじかった。13万人が死亡した。インドネシア全体の死者が16万人だったから、いかにアチェに被害が集中していたかがわかる。州都のバンダアチェを流れる川の橋には、死体が引っかかり山のように積み上がった。

家を再建しようにも登記簿なく

 全壊・半壊により再建しなければならない家屋は、「オックスファム」によると12万8000軒に上る。だが、これまでに再建できたのは3分の1に過ぎない。このため州内150ヶ所に設けられた仮設住宅に今なお7万人が暮らす。

仮設住宅。ビニール製の屋根にはいくつも大きな穴が空いている。
仮設住宅。ビニール製の屋根にはいくつも大きな穴が空いている。


 筆者もこの仮設住宅を訪れたが狭くて不衛生だ。イスラム教徒は多産系なので大家族だ。10人近い1家族が広さ30m2ほどの部屋に住む。台所とトイレは共同だ。

 再建が遅れに遅れているのには理由がある。津波で家屋が流された際、土地の登記簿も散逸したのだ。家を再建しようにも建てるべき場所が正確に分からない。個々人が主張するままに土地の所有を認めるようなことをすれば、後でとんでもないトラブルになるのは必定だ。

 とは言っても死亡した他人の土地に勝手に住み着いてしまったケースも数多くある。正直に申告する訳はないので、カウントは不可能だ。

 破れたり泥で汚れたりした登記簿らしき書類は15tにも上る。これらをインドネシアに送り復元作業をしている。だがどの程度まで土地登記が判明するのか皆目見当がつかない。

息の長い、私物化されない援助が必要

 農地の被害も深刻だ。稲作農耕地帯であるアチェ西部の農地の15%が海水を被った。水田や畑は塩を吹いて白く、使いものにならなくなっている。筆者もそうした田畑を目にしたが、見るも無残な光景だった。「オックスファム」の調査によると、耕作不能となった田畑は15万haにも上るという。こちらも区画を示していた畦道や樹木が、津波にさらわれて無くなっている。

 宅地・農地合わせて60万件の土地登記が失われた。だが、再登記できたのはこれまでにわずか2608件に過ぎない。

 九州より一回り大きな地域が廃虚と化したら、日本のように“優れた”役所の機能があっても、復旧は手間取る。30年にわたって内戦が続いてきたアチェ州は、国軍が事実上の行政を行っていた。まともな行政などなかった地域を津波が襲ったのだ。

 国際社会は息の長い援助を続けていかなければならない。世界有数の汚職大国であるインドネシアの政治家・官僚・軍幹部が援助を私物化しないように、メディアは見張る必要がある。それが復旧への最も早い途である。

◇ ◇ ◇


本記事は『Oxfam Press Release』 (12月7日付)を参考にしながら筆者の取材に基づいて執筆しました。
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2006年04月28日

アチェ亡命政府の帰還と日本のODA

 インドネシアのアチェ州と聞けば、たいがいの人はスマトラ沖大津波(04年末)を思い浮かべる。日常生活でお世話になっている都市ガスや電気の原料はアチェ州から運ばれてきている、ということを知っている人は少数派だろう。同州で産出する天然ガスの最大の買い手は、日本の電力会社とガス会社だ。

田園の中に突如、巨大なガスタンクが現れる(アチェ州アルン地区。撮影:筆者)
田園の中に突如、巨大なガスタンクが現れる(アチェ州アルン地区。撮影:筆者)


 ムハマド・マリク議長はじめとするアチェ亡命政府のメンバーが19日、亡命先のストックホルムから帰還した。30年ぶりに故郷の土を踏んだのである。海外各種メディアは伝えたが、日本の大新聞や放送局が報道することはなかった(筆者の見落としかもしれないが)。日本人の多くが、電気やガスの原料がアチェで採れていることを知らないことと符号してはいないだろうか。

エネルギー権益の非情

 同州は16世紀から20世紀初めまでアチェ王国として栄え、独自の歴史・文化を持つ。70年代に天然ガスが発見されると、人々は独立を求めるようになった。中央政府は武力で押さえ込んだ。独立派は「GAM(Gerakan Aceh Merdeka)=自由アチェ運動」を組織し、武装闘争を挑んだ。内戦が始まった(76年〜)。

 天然ガス採掘・精製工場は、同州アルン地区にある。車で端から端まで飛ばすと20分以上はかかる。実に広大だ。工場は日本のODAを利用して作られた。日本はインドネシアへのODA最大供与国だ。政府開発援助という名の巨額資金は、インドネシア―アチェの内戦に深く関わっていたのである。天然ガスの権益をめぐって内戦となったのだから。

 独立を宣言し内戦に突入した76年は、ベトナム戦争で民族独立を掲げた北ベトナムが勝利した翌年のことである。隣のインドシナ半島で起きた革命は、アチェの独立に多大な影響を与えたはずだ。筆者はストックホルムの亡命政府を訪ねた。

 「ベトナム戦争ではソ連や中国が北ベトナムを支援した。アチェの場合、支援どころか逆だ。日本も韓国も米国も、アチェがインドネシアの一部であるほうが好都合だったのだ」。マリク議長は天を仰いだ。

 韓国は日本に次ぐ天然ガスの買い手。米国のエクソンモビルはアチェに独自の採掘・精製工場を持つ。イラク戦争が示すようにエネルギー権益をめぐる国際関係は非情だ。

津波がうながした和平

 最高指導者のハッサン・ディ・ティロ氏は、軍事訓練のためGAM兵士を率いてリビアに渡ったこともある。カダフィ大佐が米国相手に吠えまくっていた頃である。だが火力で圧倒的に勝るインドネシア国軍に対して勝ち目はなかった。内戦の勝敗は初めから目に見えていたと言ってよい。ティロ氏はじめアチェ政府のメンバーは亡命を余儀なくされた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のあっせんでスウェーデン政府が受け入れた。

 九州をひと回り大きくしたほどのアチェ州に兵力3万5000のインドネシア国軍が駐留し、独立武装勢力GAMを掃討するため山間部の村々を焼いた。米軍がベトナムで行ったように。GAM兵士はもとよりGAM兵士の疑いをかけられれば、拷問のあげく虫けらのように殺された(拷問の具体的内容についての記述は、今回は省く)。アチェの人々は息をひそめるようにして暮らしていた。

 04年末、アチェを津波が襲った。インドネシアの犠牲者16万人の大半は、アチェ州の人々だった。同州は壊滅的な打撃を受けた。中央政府にとっても亡命政府にとっても、内戦どころではなくなった。フィンランドやEUの仲介で和平が結ばれることになり、05年8月ヘルシンキで調印式が行われた。

特別自治州の行方占う試金石

 筆者は和平調印式を見届けた。マリク議長の顔はこわばり、蒼ざめていた。和平の条件として「独立」の旗印を降ろし、インドネシアの一部でよいとまで譲歩せざるを得なかったためだ。

和平調印式・05年8月。アチェ亡命政府マリク議長(握手する3人のなかで右側)の顔は険しかった(フィンランド政府庁舎で。撮影:筆者)
和平調印式・05年8月。アチェ亡命政府マリク議長(握手する3人のなかで右側)の顔は険しかった(フィンランド政府庁舎で。撮影:筆者)


 亡命政府のメンバーは和平調印から8ヶ月後に帰還したことになる。安全を見極めたかったからだ。国軍に対する恐怖、インドネシア中央政府への不信感の表れともいえる。最高指導者ティロ氏は体調不良のため帰国を2ヶ月遅らせるという。

 メンバーは長年の亡命生活でインドネシア国籍を失っている。ロイター通信によれば、政府はメンバーの帰国にあたって有料でビザを発給した。

 8月にはアチェ特別自治州議会の選挙が行われる予定だ。亡命政府メンバーの立候補が本当に認められるのか。特別自治州の行政府には、外交、軍事、金融以外の権限が確実に与えられるのか。新生アチェが自治州と呼べるに値するかを量る試金石となる。
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