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2005年12月09日

日本のODAとアジアで一番長い内戦

 スマトラ沖大地震・津波の被災国に対する日本政府の無償援助金の7割が未使用になっている、と『朝日新聞』(5日付)が指摘した。同紙記事によれば、最も未使用額が大きい国はインドネシアで、供与額146億円のうち事業が契約されたのは23億円という。わずか7分の1しか活用されていないことになる。

 ODAで潤う日本企業もキックバックを懐にする政治家もつらいだろうが、立場上頭が痛いのはODAを司るJICA(国際協力機構)だ。業を煮やしたのか、同機構の緒方貞子理事長は7月初旬にインドネシアに赴いている。記者会見では「復興の速度を速めてくれ」と述べ、同国政府にハッパをかける格好になった。

 スマトラ沖大地震・津波で最も被害が大きかったのは、震源地間近のナングロ・アチェ州(通称アチェ州)だった。復興の速度が遅いのは、同州で内戦が続いていたからだ。内戦が終わらないことには、日本企業は進出しづらい。ODAの実施も困難になる。早く和平を、と日本のODA関係者は願ったはずだ。緒方理事長がインドネシア入りしたタイミングが7月初旬というのが、それを物語る。

 その頃フィンランド前大統領を仲介役にした、インドネシア政府とアチェ亡命政府の和平交渉は大詰めを迎えていたのだ。筆者は亡命政府の置かれているストックホルムと和平交渉の場となっていたヘルシンキで、進展を見つめていた。和平調印式(8月15日)の直前まで、亡命政府は苦悩していた。緒方理事長がインドネシア入りした7月初旬は、和平が決裂してもおかしくない状況にあったのだった。

権益の巣と拷問・虐殺

 アチェ州は16世紀から20世紀初めまでアチェ王国として栄えた。独自の言語・文化を持ち石油、天然ガスなどの資源に豊かなことからインドネシアからの独立を求めてきた。しかし同州を手放したくない中央政府は独立運動を力で押さえ込んだ。独立を求める反政府武装勢力GAM(Gerakan Aceh Merdeka=自由アチェ運動)との間で30年近く内戦(76年〜05年8月)が続いてきた。

オレンジ色の炎を出しているのは「アルン社」天然ガス田の煙突。敷地は広大で、端から端まで車で数十分もかかる。300mm望遠レンズ使用(撮影:筆者)
オレンジ色の炎を出しているのは「アルン社」天然ガス田の煙突。敷地は広大で、端から端まで車で数十分もかかる。300mm望遠レンズ使用(撮影:筆者)


 アチェ州の最大の魅力は、同州アルン地区から産出される天然ガスだ。現在、2社が操業している。ひとつは同国石油公社と民間会社が共同運営する「アルン社」(写真上)。もうひとつは「米エクソン・モビル」。

 「アルン社」は中央政府の、「エクソン・モビル」は国軍の一大権益だ。「アルン社」からは多額の税金が中央政府に入り、買主である海外企業からのワイロも巨額だ。「エクソン・モビル」には国軍の親戚・家族などが1万5000人も雇用されている。

 例を1つひとつ挙げる紙幅(スペース)がないのが残念だが、アチェ州は中央政府、国軍にとって権益の巣なのである。このため独立武装勢力GAM戦士やGAMとの関わりを疑われた住民は徹底的に弾圧された。拷問のあげくに虫けらのように殺されていったアチェ人は、数えきれない。広大な「アルン社」の敷地内には、国軍の拷問部屋が97〜98年頃まであり、アチェ人を震え上がらせた。「アルンの拷問部屋」を地元で知らない人はいない。

最大顧客は日本のガス、電力会社

 アチェ亡命政府はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のあっせんでスウェーデン政府が引き受けた。筆者はストックホルム郊外の亡命政府本部を訪ねた。

 アチェ独立を宣言した76年は、ベトナム戦争で民族自決を掲げた北ベトナムが勝利した翌年である。隣のインドシナ半島で起きた革命は、アチェ独立運動に影響を与えずにはおかなかった。GAMはなぜ勝利できなかったのか。亡命政府のマリク・ムハマド議長に聞いた。「ベトナム戦争では、中国やソ連が北ベトナムを支援した。アチェの場合支援がないばかりか、その逆だった。周辺国である日本や韓国、それに米国はアチェがインドネシアの一州である方が好都合だった」同議長は無念そうに語った。

 日本はインドネシアへのODA最大供与国である。「外務省ODA白書」によれば、2003年度の実績は11億4100万ドル(円ではない、ドルである)。ODA全体の10%を占め、対国別ODAでもトップだ。世界屈指の汚職大国インドネシアに、日本からの巨額ODAが大河のごとく流れ込む。キックバックは政治家のポケットに入り、事業を受注した日本企業は潤う。日本のODA利権の前にアチェの人々の人権は顧みられなかった、という現実がある。

 インドネシア政府と国軍が手放したくないアチェ――最大の魅力は、アルン地区の天然ガスであることは改めて言うまでもない。ここに天然ガスが出なければ、アジアで一番長い内戦はなかった。アルン社の最大顧客は、日本の電力会社とガス会社である。

故国の写真を見つめるマリク・ムハマド議長(ストックホルムのアチェ亡命政府本部で。撮影:筆者)
故国の写真を見つめるマリク・ムハマド議長(ストックホルムのアチェ亡命政府本部で。撮影:筆者)
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2005年12月02日

津波援助が米製兵器に!?

 米国務省のホームページを眺めていると、米国が世界各国に「余計なお世話」をしているのがよくわかる。「Indonesia -- National Security Waiver/Foreign Military Financing」と題するプレスリリースが22日にアップロードされた。釜山で開かれたAPEC首脳会議直後である。内容はインドネシアに対する軍事援助を再開する、というものだ。援助は武器輸出、軍事演習、将兵教育などの面に及ぶ。

 米国によるインドネシアへの軍事援助は、99年以来途絶えていた。東チモール独立の是非を問う住民投票で、民兵が独立賛成派の民間人を襲撃し多数の死傷者が出たためだ。民兵とはインドネシアでは国軍の子飼い勢力のことである。警察にも軍隊組織があるので、いわゆる政府軍を国軍と呼ぶ。民兵には国軍除隊者や荒くれ者が多い。ならず者集団として住民に恐れられている。

 ところが「テロとの戦い」は、米国のインドネシアに対する軍事政策をも一変させる。02年、今年10月にはバリ島で、昨年9月にはジャカルタのオーストラリア大使館前で爆弾テロ事件が起きた。実行グループのジェマー・イスラミヤ(JI)は、アフガニスタンのテロ訓練キャンプに参加していたことが突き止められている。

 米国がインドネシアに触手を伸ばしたのには、もうひとつ理由がある。インドネシアは世界最大のイスラム教国だが、教義に厳格な原理主義ではなく、世俗主義だ(ごく一部の地域を除けば)。スカーフの女性を見かけることは少ないし、酒も飲める。金儲けも自由だ。イスラム世俗主義は、自国流の民主主義を持ち込めると米国が勝手に思い込んでいる社会システムなのだ。

国産兵器と士気はガタガタ

 筆者は5月にインドネシア国軍のオペレーションに同行した。兵士が手にするのは「SS-1自動小銃」(写真上)という国産兵器なのだが、兵士たちの間で評判は悪い。ある兵士は「これじゃあ、ゲリラのAK47にはかなわない」と嘆いていた。AK47より射程は短く、命中精度も悪いという。当然だ。

国軍兵士たちが手にする国産「SS-1自動小銃」(撮影:筆者)
国軍兵士たちが手にする国産「SS-1自動小銃」(撮影:筆者)


 爪切りの歯はかみ合わず、なかなか切れない。ハサミはすぐ要がはずれる。録音テープは「ソニー、MADE IN JAPAN」と記されているが、音声はフニャける。明らかにパチものだ。こんな工業力しか持たない国が、まともな国産兵器を作れるはずがない。

 兵器の劣悪さよりもさらに驚いたのが、兵士の士気の低さだ。ジャングルでの行軍中、筆者に「水をくれ」と乞うてきた兵士がいた。これでは白兵戦は戦えまい。士気の低さは国軍全般を覆っている、と言っても言い過ぎではない。農民が畑に入り、漁民が海に出るのに、国軍が見かじめ料を取っている地域もある。マラッカ海峡に出没する海賊は、インドネシア海軍であるとの見方が消えない。一国を守る軍隊とは言いがたいモラルだ。

 国産銃が米製の「M14自動小銃」にかわったところで戦闘能力の向上にはなかなか結びつかないだろう。士気の低さはインドネシア国軍の薄給に由来する。将軍クラスで月給600ドルという低さだ。国軍出身のユドヨノ大統領は軍の近代化を掲げる。今後は米製兵器の購入とともに将兵の薄給も改善することになる。ではこの金はどこから出るのか。

やっぱり届かなかった支援金

 昨年末のスマトラ沖大地震により、インドネシアでは16万人が犠牲となった。日本をはじめ各国からの津波復興援助金は、総額50億ドル以上にものぼった。

 ところが汚職は朝メシ前というこの国の体質である。違反をしていなくても交通検問の警察官が現金を要求してくる。公務員に業務を依頼すると必ず、彼らの1ヶ月分の給料以上のワイロを求めた。ワイロ、横領の金額は地位が高いほど大きくなる。国際社会は、津波の復興援助金がちゃんと被災地に回るのか疑い心配した。

 最も被害の大きかった地域は、震源地間近のナングロ・アチェ州だった。この地域は内戦下にあったため、インドネシア政府は外国人の入域を厳しく制限していた。だが救援・復興にあたるNGOとそれを伝えるジャーナリストの入域を許可した。筆者もそれに紛れ込んだ。

 「援助金が被災地の復興に回らないのでは」という国際社会の懸念は的中したようだった。どこの国のNGOに尋ねても「回っていない」と異口同音に答えた。どの村の長老格も「各国のNGOが去ったら(我々は)生きてゆけなくなる」と口を揃えて訴えた。筆者もこの目で見たが、復興に援助金が回っている気配は全く見えなかった。同じく津波で被災したスリランカを訪れたのが、インドネシアを訪れるより2ヶ月近く前だったが、こちらは家屋の再建など復興が着々と進んでいた。

インドネシア・アチェ州の津波被災地。手前は救援機関などのテント。その向こうに広がる荒地のような所は漁村の跡。一望廃虚だった(撮影:筆者)
インドネシア・アチェ州の津波被災地。手前は救援機関などのテント。その向こうに広がる荒地のような所は漁村の跡。一望廃虚だった(撮影:筆者)


 津波復興援助金50億ドル強という莫大な金は政治家、高級官僚のポケットに納まり、残りが米製兵器購入などに回るのだろうか。勘ぐりたくもなる。少なくともそれを否定できる根拠は、津波被災地の現場には見当たらなかった。
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