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2010年08月22日

【ガザ写真館】 同じ東地中海岸でも…


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海水浴。束の間の平和を満喫するガザの人々(午後7時頃、ガザ市海岸。写真:筆者撮影)


 ガザの人々は水浴びが好きだ。夏場は陽が上ると夜は10時過ぎまでビーチから歓声が響く。うるさい位だ。なぜここまで海水浴が好きなのか?取材コーディネーターに聞くと答えは単純かつ明快だった―「ガザにはプールがないから」。

 イスラム教徒の女性は服を着、スカーフを被ったまま泳ぐ。それでも女性の写真を撮ることは御法度だ。望遠レンズでさりげなく撮影した。

 同じ海岸線をわずか数十キロ北に行けばイスラエルのビーチだ。豊満な肢体を極小のビキニに包んだユダヤ人女性が砂浜を闊歩する。同じ東地中海の隣合った海岸のあまりに対照的な光景。「パレスチナ紛争の一断面」などという一言でくくれない感慨を覚えるのだった。
posted by 田中龍作 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ(ガザ・西岸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

【中東紛争の原点】 聖地が重なり合う悲劇


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【聖地の下部】正面、乳白色の壁が「嘆きの壁」。黄金ドームと木立のある所が「アルアクサの丘」(写真:7月、筆者撮影)


 ガザに入るには、イスラエル政府発給の記者樟を取得する必要があるため、ジャーナリストはエルサレムに立ち寄らねばならない。筆者がエルサレムを訪れた時、必ず足を運ぶのがユダヤ教徒の聖地「嘆きの壁」とイスラム教徒の聖地「アルアクサの丘」だ。

 2つの名前を挙げたからと言って2ヶ所を訪問するわけではない。両者は重なり合っているので訪問地としては一ヶ所だ。その重なり方たるや半端ではない。「嘆きの壁」の最上部が「アルアクサの丘」(ユダヤ教徒は「神殿の丘」と呼ぶ)だ。逆に言えば「アルアクサの丘」の土台が「嘆きの壁」ということになる。
 
 ユダヤ王国がローマ帝国の猛攻に遭い滅びたのが紀元70年。「嘆きの壁」はかろうじて残ったユダヤ神殿の跡である。戦争で破れたユダヤ民族がディアスポラとなっている間にこの地をほぼ占有したのがイスラム教徒だった。預言者モハンマッドが昇天したとされるのが「アルアクサの丘」だ。ユダヤ教徒の聖地「嘆きの壁」(神殿の丘)の最上部である。 

 両者が重なり合ったことは、「歴史のいたずら」と呼ぶにはあまりにも酷い。「聖地のある東エルサレムは我が教徒(民族)のものであり、異教徒(民族)に譲ることはできない」。双方がこう主張して4次に渡って大がかりな戦争をし、日常的に続く小競り合いで血を流しあっているのだから。

 この敵対関係を最も上手に利用したのはイスラエルのシャロン元首相だった。シャロン氏はタカ派政党「リクード」の党首だった2000年9月、イスラム教徒の聖地「アルアクサの丘」を電撃的に訪問した。まさしく土足で他人の家に踏み込んだのである。

 それに怒ったパレスチナ人たちが蜂起したのが、「アルアクサ・インティファーダ」だ。連日のように自爆テロがあり、1,000人以上の人々が命を落とした。パレスチナへの締め付けを強化したシャロン氏は国民の支持を得、01年の首相選挙に勝利したのである(当時の首相選挙は直接選挙だった)。シャロン氏は聖地が重なり合っていることを利用して互いの敵意に火をつけたのだった。

 「アルアクサの丘」(ユダヤ教徒にとっては神殿の丘)をめぐっては8年後、さらなる悲劇が起きる――。
 アルアクサの丘を壊して更地にしユダヤ神殿を再建すればキリストが再降臨すると信じているのが、キリスト教福音派(いわゆるネオコン)だ。その信者がブッシュ前大統領である。

 ブッシュ政権の最末期に起きたのが、イスラエル軍によるガザ侵攻(08年12月開始)だった。ハマス掃討の軍事作戦は苛烈を極め、無辜の市民を中心に1300人余りが犠牲となった。

 イスラム教徒との融和を掲げるオバマ新大統領が就任すればパレスチナへの軍事攻撃は難しくなる。ブッシュ政権の間にイスラエルは目のうえのタンコブを叩いておきたかった。それがガザ侵攻だった。

 自らの聖地への思い入れは、「異教徒せん滅」につながる危険性と悲劇性を孕む。
 
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【聖地の上部】イスラム教徒の聖地「アルアクサの丘」。「嘆きの壁」の最上部に広がる(写真:昨年2月、筆者撮影)
posted by 田中龍作 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ(ガザ・西岸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

【ガザ点描】8時間おきに停電 発電機は飛ぶように売れ


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発電機。大型は25万円、小型は15万円くらい。この商店では1日に8〜10台も売れる。(ガザ市内で。写真:7月 筆者撮影)


 「ガー、ガー、ガー」。発電機の騒音がガザの街中を包み込む。電力不足のガザは8時間おきに停電と通電を繰り返す。停電の間、ホテルや商店は発電機を回し営業するのだ。
 発電機は飛ぶように売れる。小売店の店主は「イスラエル軍の侵攻前は1日に1台売れるか売れないかだったのが、侵攻後は1日に8〜10台も売れる」とホクホク顔だ。

 発電機の値段は小型が15万円、大型が25万円ほど。中国製だ。音が静かな日本製は値段が倍以上もするため売れない。

 ガザで使用する電力の半分以上はイスラエルから送電される。このルートから十分に送電されないことについて、イスラエル側は「ガザ地区からの料金の支払いがない」と説明する。ガザ住民は「イスラエルがいやがらせで停めている」と主張する。どちらの言い分が正しいのか、今ひとつすっきりしない。

 また3分の1はEUの支援で建設した火力発電所で賄う。この発電所で使用する石油は陸路で入ってくるのだが、イスラエルが検問所を通さないため石油は入ってこない。こちらの理由ははっきりしている。

 ある民家にお邪魔した時のこと。家の主は「あと10分もしたら電気が来るよ」。「何故わかるんですか?」と筆者が尋ねると「8時間停電したら、8時間(電気が」)来るからさ」。

 10分が経った。主が“予言”した通り天井の扇風機が「プルン、プルン」と回り始めた。逆境のなかを生き抜いてきたガザの人々は、停電をやり過ごす術も心得ているようだ。

 一方、ホテルは停電事情が違う。夜間は発電機を回して電気を停めないようにしているのだが、日中はまばらに通電する。言い方を変えれば、しょっちゅう停電する。ホテルの経営者が発電機の燃料を1リットルでも節約したいためだ。「さあ原稿を書くぞ」とキーボードを叩き始めた途端「バン」と電気が落ちる。これには参った。電気があることの有難さを改めて感じたものだった。

 1日のうち半分も停電しているのではまともな生産活動などできるはずがない。電力不足はガザの復興を妨げる大きな要因となっている。
posted by 田中龍作 at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ(ガザ・西岸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする