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2010年07月27日

【ガザ点描】イスラエル軍の砲弾より恐い汚れた水


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東地中海のイメージに似合わぬ海水の汚れにもガザの現実がある(ガザ市内の港湾で。写真:筆者撮影)


 ガザは下水処理施設が十分でないため汚水がそのまま海に流れ込む。排水が流れ込む港の水は黄緑色に濁っており見るからに汚い。

 上水道の水質も良くない。ガザの水源は地中に蓄えられた帯水である。ガザの人口は、女性がイスラム特有の多産であるため右肩上がりに増え続ける。イスラエルが第3次中東戦争(1967年)でエジプトから奪取した頃は100万人にはるか及ばなかったのが、現在では160万人に膨れ上がっている。ガザにあって人口増大は水質を悪化させることにつながる。次のような理由だ――

 人口の増大に伴い水の消費も増える→地中の帯水は不足気味となる→水圧が下がり海水が地中に浸透する→帯水に塩分が混じる→水道の蛇口から出てくる水をなめると塩っぱい。

 海水が排水で汚染されていることは冒頭述べたが、これがガザの水源である帯水に浸透してくるため環境への被害は深刻だ。

 2003〜4年頃まではガザにもイスラエルの入植地があり、大規模農園が大量の帯水を汲み上げていた。これも海水を浸透させる原因になった。

 WHO(世界保健機構)の調査によると、ガザの上水の80%が飲み水に適していない。驚くべき数字だ。汚染され塩分を含んだ水を日常的に飲んでいるためだろうか、ガザでは腎臓を病んでいる人が多いと聞く。

 追い討ちを掛けているのが電力不足だ。停電でポンプを使えない時間が長いため、ビルはタンクに大量の水を蓄えておくのだが、気温が高く水は淀む。シャワーを浴びるとベトベトする。かゆみを覚えることさえある。

 汚れた水はジワジワとしかも確実にガザの人々の健康を蝕んでいくだろう。長い目で見ればイスラエル軍の砲弾よりも恐い気もする。

 ◇
 田中は25日、日本に帰国致しました。停電することなく電気が来、きれいな水でシャワーを浴びることの有難さをかみ締めています。大手メディアが報じないガザの現状を一行でも多く伝えれることができればと思い、現地で取材・執筆に励んでまいりました。

 今回の取材行では節約に節約を重ねましたが、予想以上に経費がかかりました。東京から持ち込んだ練り状みそ汁とパンで食費を浮かせるように務めましたが焼け石に水でした。カードローンの返済地獄が待ち受けております。皆様の支援を賜れば幸甚です。
posted by 田中龍作 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ(ガザ・西岸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

ガザ取材後記 〜爆撃直後の村を再訪して〜


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戦争が日常生活の中に溶け込んでいるガザ(16日、写真:筆者撮影)


 アルアクサ・インティファーダ(2000年発生)以来、長期に渡ってガザの封鎖を続けてきたイスラエルが基本的に封鎖を解除するというが、それで経済が幾らかでも潤うのだろうか。この目で見届けたい。

 爆撃直後に訪ねた家族は健在だろうか。彼らは生活をつないで行けているのだろうか。この耳で聞きたい。私をガザ取材に駆り立てたのは、この2つの理由でした。

 前者の答えはあまりにも簡単でした。ガザの経済は封鎖が解除されたからと言って上向くものではありませんでした。産業の育ちようがないからです。セメントや鉄筋などの建設資材は軍事転用が可能なことから、ひき続き搬入できません。工場などを再建することは不可能なのです。

 農業で経済を復興できるかというと、先ず不可能です。農産物はチューリップとイチゴ以外は輸出禁止なのです。それ以前にオリーブやレモンを育んだ畑は、侵攻してきたイスラエル軍の戦車の轍でズタズタになっていました。大きくなるのに年数のかかるオリーブの樹々が根こそぎ倒されているさまは、戦争の現実を物語っていました。

 今回の取材で私は昨年、爆撃直後に入った村を再び訪ねることを最優先しました。村が丸ごと消えたアル・ショハダ村では、ハドゥルさんという男性と再会できました。(17日付け拙稿『娘たちがいなかったら頭を撃ち抜いて死ねるのに』)

 集団虐殺があったとされるガザ市ザイトゥーン地区には、何があろうとも再訪することを決めていました。イスラエル軍によって住民約100人が一か所に閉じ込められて爆撃され30人が死亡したとされる事件は国連人権理事会も追及しています。(17日付け拙稿『集団虐殺を生き延びた村人は後遺症に苦しむ』)

 国連人権理事会の公聴会で証言したヘルミ・アルサムーニさん(27歳)に再会を求めたことは、ジャーナリストとしては当然の行為ですが、後悔もしています。子供3人をイスラエル軍によって射殺され、自らも閉じ込められた痛憤の惨事を、必要以上に思い起こさせてしまったということです。

 ハドゥルさんもヘルミさんも衰弱しているのが手に取るように分りました。2人に限らずカザの人々の多くは貧困と絶望のなかで衰弱しているようでした。(23日付け拙稿「貧困と絶望が支配する街」)

 ハマスはイスラエルの経済中心都市であるテルアビブを射程に収めたロケットの開発に成功したそうです。イスラエルもMD(ミサイル・ディフェンス)をこのほど完成させました。

 どちらが先制するのか、それとも睨み合いが続くのか。もし戦端が開かれるようなことにでもなれば、今度は間違いなく阿鼻叫喚の地獄がガザに現出することになるでしょう。それだけは避けなければならない、との思いを強くしつつパレスチナの地を後にした次第です。

 ◇
 田中は只今、日本に帰国致しました。停電することなく電気が来、きれいな水でシャワーを浴びることの有難さをかみ締めています。大手メディアが報じないガザの現状を一行でも多く伝えれることができればと思い、現地で取材・執筆に励んでまいりました。

 今回の取材行で節約に節約を重ねましたが、予想以上に経費がかかりました。東京から持ち込んだ練り状みそ汁とパンで食費を浮かせるように務めましたが焼け石に水でした。カードローンの返済地獄が待ち受けております。皆様の支援を賜れば幸甚です。

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2010年07月23日

ガザ 貧困と絶望が支配する街

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一家は地べたで暮らしていた。父親は「赤ん坊のミルクを買う金もないよ」(18日、アル・アトゥラ村で。写真:筆者撮影)


 ガザの子供たちは一様に小さい。「8〜9歳位かな?」と思って年齢を聞くと「12歳」などという答えが返ってくる。イスラエルによる経済封鎖が長く続くため幼児の頃から満足に食事ができないからである。WHO(世界保健機構)によると5歳以下の子供の3分の1が貧血だ。
 子供たちの多くは戦争で父親や長兄を失っている。健在であったとしても職がない。パンを買う現金に事欠く境遇なのである。

 激戦地だったガザ北部のアル・アトゥラ村のある家族のテントを覗いた。一家10人が地べたで暮らす。生活排水が地面に染み込んでいて腐臭が鼻をつく。その日のランチは卵一個きりだった。おかずが卵一個というのではない。ランチで口に入れるのが卵一個なのである。

 父親のサーレ・アブレラさん(52歳)は「行く所はどこにもない。あなたの国は援助してくれないのか」とすがるような表情で語った。傍らには8ヶ月の赤ん坊がいる。「ミルクを買う金もないよ」。アブレラさんは空き缶を揺さぶりながら筆者の前に突き出した。
 
 現地ガイドを務めてくれたパレスチナ人に「爆撃直後より貧しくなっていないか?」と聞くと「その通りだ」と答えた。英語が堪能な彼は「ゲッティング・プア・アンド・プア(どんどん貧しくなっている)」と続けた。

 世銀の調査(09年)によれば、ガザの全世帯のうち70%の家庭が1人1ドル以下で暮らす。

 07年にハマスがガザの政治権力を握るとイスラエルは経済封鎖を徹底的に強化した。ハマスを弱体化させるためである。医薬品やパンの原料の小麦など人道上必要な物資以外は搬入禁止となった.
 爆薬の材料に用いられるとして肥料さえも禁止品目に指定された。BBCの独自調査によるとガザへの搬入物資は05年末と比べると4分の1以下にまで減った。

 苛酷な封鎖に見かねた海外の援助団体が「ガザ支援船」を出したところ、イスラエル軍による拿捕事件が発生(5月30日)。トルコの援助活動家らが死傷し国際社会の批判が高まった。
 これを受けてネタニヤフ政権は一転、軍事関連物資以外の搬入を認めることにしたのである。

 だが軍事転用が効く物資の搬入はひき続き禁止される。セメント、鉄筋、角材は禁止リストに留め置かれる。これが復興を阻む大きな障壁だ。ネタニヤフ政権のミソでもある。
 
 セメント、鉄筋、角材なくして工場再建も公共工事もできない。人々の働く場がないままの状態が続くのである。世銀の08年の調査で失業率は40%にも上っているが、09年のイスラエル軍侵攻後はさらにハネ上がっているものと見られる。 

 学校も多くは破壊されたままだ。だが建築資材の搬入は、国連関連施設の再建に使用する以外は今後も禁止される。このため学校の再建も困難だ。子供たちが教育を満足に受けられない所に復興などありえない。

 ガザには復興の槌音が響かないどころか復興の兆しさえ見えない。事実上の封鎖は今後も続くだろう。「地獄だ」。筆者は行く先々でこの言葉を聞かされた。

 イスラエルによる「ハマス締め上げ」は、とりもなおさずガザ市民の生活困窮となる。人々のハマスへの反感は日増しに強まっているようだ。
 ハマスの強い地域以外では、どこに行ってもハマスへの批判を耳にした。「みんなハマスが嫌い」。15歳の女性は吐き捨てるような口調で言った。

 だが「ハマス弱体化」がイスラエルの思惑どおり進むとは限らない。エジプトとの地下トンネルを通じてイランから資金や武器の援助が届くからだ。ハマスに「体力」がある限り、イスラエルは事実上の封鎖を続ける。

 ガザの人々は絶望と貧困のなかで衰弱していくしかないのだろうか。

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【読者の皆様】
 田中は近く帰国致します。皆様の御支援のおかげでガザの現状を取材し世に問うことができました。ただ予想以上に経費がかかったため、相当な赤字を出してしまいました。カードローンの返済地獄が待っております。ひき続きご支援を頂ければ幸いです。
posted by 田中龍作 at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ(ガザ・西岸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする