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2009年12月13日

ノーベル平和賞と戦争―ゴルバチョフの軍隊が市民に発砲した

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新婚間もなかった息子はソ連軍によって射殺された。墓参の男性は目頭を押さえた(カスピ海を見下ろすバクー市内の丘。写真=筆者撮影)


 アフガニスタンへの増派を決めたオバマ米大統領のノーベル平和賞受賞に賛否両論が渦巻いている。だが東西冷戦を終結に導いたことなどが評価され、1990年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の場合はそうではなかった。ゴルバチョフが同じ年にソ連軍を連邦構成共和国のアゼルバイジャンに侵攻させたことは余り知られていない。

 強権で各共和国を締め上げていたソ連も末期はタガが緩み、各地で民族紛争が頻発していた。ソ連西南のアゼルバイジャン共和国は、ナゴルノカラバフ自治州の帰属をめぐってアルメニア共和国と紛争状態にあった。まだソ連は崩壊していないので、正確に言うと内戦ということになる。

 モスクワがアルメニアを支援したことから、アゼルバイジャンは劣勢となる。両民族が混住しているアゼルバイジャンでは、非戦闘員のアルメニア人とアゼルバイジャン人による殺傷沙汰が続いていた。非戦闘員であるのにもかかわらず民族間で殺り合うのは内戦下の常だ。

 90年1月、ソ連軍はアルメニア人保護を名目にアゼルバイジャンの首都バクーに侵攻した。無差別に発砲し、市民約200人が殺害されたとされる。現場を目撃していたバクー市民によれば、ソ連軍は手当たりしだいに射殺を繰り広げたという。惨劇は「黒い1月事件」と呼ばれ、歴史に刻まれている。

 カスピ海を見下ろす丘にはソ連軍によって殺された市民たちの墓地がある。数えようにも数えきれないほど墓が並んでいた。すべてが犠牲者の墓だ。墓石という墓石には元気な頃の写真が刷り込まれている。今にも飛び出してきそうなほどリアルだ。それが事件への憎しみを増幅させる。

 墓地には献花が絶えない。息子を殺されたという男性はカーネーションを供えた後、目頭を押さえた(写真)。「ゴルバの軍隊が発砲した」は、バクー市民に永遠に語り継がれることだろう。

 ノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフの隠しようのない“業績”だ。「武力によって維持される平和」。扱い方を誤ると取り返しのつかない悲劇となる。
posted by 田中龍作 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | アゼルバイジャン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

【世界写真紀行】エネルギー大国の難民アパート 〜アゼルバイジャン

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子供はなぜ紛争が起き、ここに逃れてきたのかさえ知らない(アゼルバイシャンの首都バクーで。写真=筆者撮影)


 天然ガスの上に浮かぶ国と言われ、カズピ海からは良質な石油を産出するアゼルバイジャン。オイルマネーで潤う。首都バクーは世界最大の内海が放つ波光を浴びて一見のどかだ。だが57万人もの難民を抱えていることは、あまり知られていない。波光の陰の部分である。
 
 大量の難民はナゴルノ・カラバフ自治州で起きた紛争で発生した。自治州で圧倒的多数を占めるアルメニア人がアルメニア共和国とロシアの支援を受けて独立を宣言し、アゼルバイジャンとの間で武力衝突となったのである。

 バクーの街には政府が提供した難民アパートがおびただしく点在する。トイレや水道は共同で、難民家族は体を寄せ合うようにして暮らしていた。
posted by 田中龍作 at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | アゼルバイジャン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

新大統領で強いアメリカは復活するか?

グルジアの首都トビリシ(写真は上下とも筆者撮影)
グルジアの首都トビリシ(写真は上下とも筆者撮影)


 間もなく米国の新大統領が誕生する。米国発の金融危機、北朝鮮に譲歩した「テロ指定解除」などを受けて、評論家の多くは「もはや強い米国ではない」「米国の一極支配は終った」と囃し立てている。

 筆者は金融も朝鮮半島も門外漢なので「そうだ」とも「違う」とも言えないが、21世紀の新秩序をめぐって米ロが角逐するコーカサス情勢を見る限り、評論家に同調したくなる。新大統領がドラスティックな政策変更(CHANGE)をしたとしても「強い米国」が復活するまでは相当な時間がかかるだろう。

カスピ海油田。林立する掘削櫓が埋蔵量の豊かさを示す
カスピ海油田。林立する掘削櫓が埋蔵量の豊かさを示す


 カスピ海岸のアゼルバイジャンと黒海沿いのグルジアは、コーカサス山脈の南に位置することから南コーカサス地方とも呼ばれる。なぜこの地方で米ロが角逐するのか。理由は大きく2つ。エネルギーと軍事だ。

 グルジアは旧ソ連構成国にあって一早くNATO加盟希望を表明し、それがロシアの逆鱗に触れた。ブッシュ大統領(父)とゴルバチョフ書記長が東西冷戦の終結を宣言した「マルタ島会談」(1989年)で、父ブッシュは「NATOは東方に拡大しない」と口約束した。一筆取らなかったのはゴルバチョフの失策だったが、米国は口約束を反古にしてグルジア、ウクライナをNATOに抱き込もうとしている。

 業を煮やしたロシアは、グルジアの元国家安全相や親ロ国会議員29人に資金提供し国家転覆を図った。だが米CIAに阻まれて失敗。2006年秋のことだ。

 潮目が変わったのは今年8月に起きた南オセチアの独立をめぐる軍事衝突だ。ロシアはグルジア領土を空爆したのみならず陸上部隊も深く侵攻させた。EUの仲介もあって停戦したもののロシアの「勝ち逃げ」だった。アメリカは軍事顧問団を置いていながら面目を失ったのだ。

身から出たサビでロシアの台頭招く

 アメリカが付いていながらグルジアがロシアにしてやられたことは、東隣国のアゼルバイジャンには脅威だった。アゼルバイジャンにはNATOのミサイル防衛網のレーダー基地が置かれているのだ。西側との結びつきは経済面でさらに深い。

 もし西側の技術がなかったらアゼルバイジャンはカスピ海油田からのオイルマネーで今ほどは潤っていない。4年前、筆者が首都バクーを訪れた際、両替所はルーブルを扱っていなかった(両替所をすべてチェックしたわけではない)。

 アリエフ大統領は、ソ連時代のアゼルバイジャン共産党第1書記だった父親(先代の大統領)と似た政治スタイルを取るが、経済はほぼ完全に西側を向いていた。

 ところが、である。グルジアの軍事衝突後、ロシアの国家的独占企業である「ガスプロム」の当局者がバクーを訪れて提案した。「天然ガスを西側と同じ値段で買うよ」と。

 西側にとって虎の子のエネルギーをロシアに奪われたのでは安全保障にかかわる。米国のチェイニー副大統領はすぐさまバクーに飛んだ。だがアリエフ大統領はモスクワに遁ずらした。チェイニー副大統領との会談を拒否したのだった。モスクワに呼びつけられたといった方が正確だろう。アリエフ大統領は、党第一書記だった父親がモスクワの顔色にピリピリしていたのを見ながら育ってきたのだ。

 グルジアの軍港を押えることは「ロシア黒海艦隊」の地中海進軍に影響する。カスピ海は中東に次ぐエネルギーの宝庫である。コーカサスの南に位置するイランは米国にとって最も度し難い国で、ロシアの支援で核開発が進行中だ。

 米国の世界戦略がかかるこの地域を完全に押えるには、軍事力と経済力がモノを言う。ところが現在は両方とも落ち目だ。「イラクとアフガニスタンへの侵攻」、「金融資本主義」という身から出たサビが米国自らを弱らせた。

 強いアメリカを復活させようにも米国債の大口顧客がロシア、中国ときている。もし中ロが米国債を「知〜らない」と言って手放したらどうなるか。ワシントンのCHANGEだけでなく世界のCHANGEが新大統領の双肩にかかっている。
posted by 田中龍作 at 00:00| Comment(0) | アゼルバイジャン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする