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2010年08月28日

大野議員「米一極主義脱した中東政策を」〜3〜

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大野元裕・参院議員(議員会館の事務所。写真:筆者撮影)


 世界の火薬庫とも言われる中東問題に精通した国会議員が誕生した。7月の参院選・埼玉選挙区に民主党から立候補、当選を果たした前中東調査会・上席研究員の大野元裕氏だ。在バグダッド日本大使館員だった大野氏は湾岸危機(1990年)の際、「人間の盾」になるなどしてイラクに閉じ込められた邦人200人を救出したことで知られる。

 選挙戦で幾度も応援に入った岡田外相は「(大野氏の)知識と経験を活用したい」(20日、定例記者会見)と期待を寄せる。アメリカ一極主義が崩れた今、日本政府の中東政策はどうあるべきかなどを大野議員に聞いた。

 3回目のきょうは――
<『アメリカ一極主義』なき時代の中東政策とは>

Q:日本政府の対中東政策はどうあるべきでしょうか?

A:今までの日本の対中東政策にはアメリカの対中東政策が関与する割合がとても大きかった。特に70年代以降のパレスチナ・イスラエル関係。
それからもうひとつは90年代以降のアメリカ一極主義、あるいはアメリカの一極主義に支えられた国連中心の対中東政策がとても大きかった。
 
 ところがアメリカの国力が下がるなかでアメリカの古典的な覇権主義も機能しない。一極主義がなくなると混沌の時代に入る。
 そうすると「アメリカをバネにした国際社会の秩序」云々とか昔、言っていたものに乗っていた日本の中東政策もおのずと変わらなければならない。

 つまり中東と日本のバイ(二国間)の利益はどうなるか。あるいは不利益になることをマルチ(多国間)でカバーするのかだ。

 イラクのような産油国で中央をつかむのは誰か。これが見えた時に日本は参画することがバイの利益になる。あるいはスーダンのようなどう見ても日本には輸入しないような産油国やイランの資源をどう考えるか。
 

<二国間・多国間のふたつの軸とパワーバランス>

 例えば天然ガスという資源がある。ロシアとカタールとイランで世界の埋蔵量の6割を占める。
ところがイランはガスを輸出できない。それがロシアのヨーロッパに対する発言権につながっている。ロシアのように大量にヨーロッパに天然ガスを出せるのはイランしかいない。イランが封じ込められている限りロシアはでかい顔をしていられる。
 
 つまりこういったパワーバランスのなかで日本がどの国を封じ込めたいか、どの国に発言権を持たせたくないか。たとえばロシアだとか中国の脅威を封じ込めたいのであれば、ロシアの得意なところであるガスとか、中国のアキレス腱である石油とか、こういったものをマルチ(多国間)で押さえ込もうとするのか。(バイとマルチの)ふたつの軸で考えていった方がいい。

 そこから考えていけばイランにはこう対処する、イラクにはこうしたほうがいい、アフガニスタンにはこうした利益がある。ソマリア沖の海賊にはこう対処したほうがいいい。パレスチナ問題はこう・・・(中東それぞれの国に対して二国間、多国間の枠組みの中で政策を決めていく)、こういったやり方を考えていくべきだと思う。

 もともとの(アメリカ一極主義という)グランドセオリーがなくなっちゃったわけですから。

               〜終わり〜
posted by 田中龍作 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

大野議員「米一極主義脱した中東政策を」 〜2〜


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秘書と打ち合わせる大野元裕・参議院議員=左=(参議院会館の事務所で。写真:筆者撮影)


 世界の火薬庫とも言われる中東問題に精通した国会議員が誕生した。7月の参院選・埼玉選挙区に民主党から立候補、当選を果たした前中東調査会・上席研究員の大野元裕氏だ。在バグダッド日本大使館員だった大野氏は湾岸危機(1990年)の際、「人間の盾」になるなどしてイラクに閉じ込められた邦人200人を救出したことで知られる。

 選挙戦で幾度も応援に入った岡田外相は「(大野氏の)知識と経験を活用したい」(20日、定例記者会見)と期待を寄せる。アメリカ一極主義が崩れた今、日本政府の中東政策はどうあるべきかなどを大野議員に聞いた。

 2回目のきょうは――

<世界の関心を失ったイラク―希望は石油があること>

Q:真っ先駆けて米国に追随した日本は、今後イラクの復興にどう貢献すべきでしょうか。

A:問題は社会と経済。(日本は)そういったマネジメントに関わる必要がある。しかしニワトリが先かタマゴが先かではないが、安定した国家ができるのが先なのか、それを支える社会構造ができるのが先なのか。

日本が治安分野で安定した国家作りに貢献できる分野は小さい。それよりも経済や社会といった間接的なものに手を加える分野が大きい。今は様子見だと思う。

Q:金銭的援助はムダでしょうか?

A:日本はイラクに対する戦略的関心がない。石油とか戦術的なところには出ていますけど。

 日本のイラクに対する支援は2004年時点の想定で2008年まで進められた。2003年に1億ドルを緊急援助で払った。これはテントだとか医薬品に使った。

 2004年から5年間で50億ドル払った。最初は15億ドルを無償供与した。この後の35億ドルは円借款が中心。計画を作ってダムを作りましょう、道路を作りましょう、社会基盤を整備しましょう、石油産業を育成しましょうという金だった。

 しかしこれが終わる2008年までにイラクは安定しなかった。日本は2004年初頭に決めたこの計画を見直すことなしにお金を払うことだけを優先してしまった。結果としてドブに捨てた金も多いと思う。

 緊急支援してお金を差し上げればイラク自体に冨があるから後は2本足で歩く(自立する)だろうと考えた。2004年の幻想を引きずったのだ。

 これが終わった後にアメリカも含めてイラクに対する関心がなくなった。オバマ政権でいえば関心がアフガニスタンに移った。
 
 日本もイラクには関心がないという状況のなかで、今さら掘り起こして戦略的な関心に高めようというインセンティブもない。それが現状。

Q:どっちに転んでもイラクは失敗国家になりそうですが・・・

A:希望は石油があること。皆、石油には関心がある。石油を握った者が勝つ。そこはひとつ救い。
(しかしイラクの各勢力は)解決のカギ(石油)が圧倒的な力をもたらすゆえに誰にもこれを握らせたくない。

       〜つづく〜
posted by 田中龍作 at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

大野議員「米一極主義脱した中東政策を」 〜1〜


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大野元裕・参議院議員=民主党=(参議院会館の事務所で。写真:筆者撮影)


 世界の火薬庫とも言われる中東問題に精通した国会議員が誕生した。7月の参院選・埼玉選挙区に民主党から立候補、当選を果たした前中東調査会・上席研究員の大野元裕氏だ。在バグダッド日本大使館員だった大野氏は湾岸危機(1990年)の際、「人間の盾」になるなどしてイラクに閉じ込められた邦人200人を救出したことで知られる。

選挙戦で幾度も応援に入った岡田外相は「(大野氏の)知識と経験を活用したい」(20日、定例記者会見)と期待を寄せる。アメリカ一極主義が崩れた今、日本政府の中東政策はどうあるべきかなどを大野議員に聞いた。


第一回

<サダムなき後、対立構造が表面化したイラク>

Q:イラクの現状をどのように見ておられますか。

A:イラクはいまだ困難な状況にあるわけだが、困難の種類というものがこれまでと随分違ってきている。

2003年のイラク戦争以来(困難な状況は)続いているわけだが、より正確に言えば戦後の困難という類のものではなくて、大きな権力構造が民意によらない形でアメリカにむりやり取り去られたことによる困難といえる。

 代替の選択肢が用意されないままに強制的に無理矢理、政権が潰された。国や社会で言えば、富の流通の構造や、社会のシステム、政治と統治機構などと言ったものが、すべて一瞬にして消えてしまった。

 その後自然に後を埋めるような人たちによる政権作りが許されればよかったが、アメリカを中心とする国々はイラクの民意ではない形で国を作ろうとした。イラクの人たちの特定のグループは、アメリカ等の押し付け、もしくは悪しき占領と見て取った。

海外からのテロリストがこれに呼応して、2006年〜07年(最も華やかだった)のようなテロの主戦場となった。ある程度下火になっているが、これがまだ収まっていない。

この原因のもとを作った権力の不在という状況が続いている。かつて政府という権力者が押しとどめていた宗派、民族という、イラクの中にもともと潜在的に存在する対立構造が表に出てしまったのだ。

<政権の正当性が確立するまで混乱は続く>

A:イラクのみならず多くの石油産油国が第2次世界大戦以降、取ったパターンというのは(特に1970年以降)、富の流通の構図と政治的な権力の所在が一致した時に安定する。

つまり石油という富を中央政府が握る。その中央政府がどんな形、独裁にしても王様にしても、国民に認められた者がなる。これが合致した時に安定する、というのが産油国のパターンだ。
 
 誰が勝ち組かはっきりわかる。金も政治権力も軍事力も警察力も一手に握る。これが悪い風に出ると独裁。そういう構造が見えるまでイラクの不安定化は続くだろう。

 結果として皆がわかるような認められた政権ができ、その人が富を握るという構造ができるまで、相当な時間がかかると思う。イラクの石油の富と政権の正当性というものが社会のニーズに合致するまで、数年の間はしばらく問題がある。

 サダム・フセインが実質的にナンバー1になった年は第4次中東戦争(1973年)、オイルショックの直後から。サダム・フセインが実質的な大統領である間に国民の収入は上がった。

 中小企業のオヤジが荒っぽいけど会社を上場させたようなものですよ。イラクを一部上場の企業に仕立てた。皆、サダム・フセインに依存している限りは儲かっていた。

                〜つづく〜
posted by 田中龍作 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする