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2011年02月06日

【カイロ発】 アナログ親父も「フェイスブック」

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ムハマードさんは蜂起初日の先月25日から家に帰っていない。(6日、タハリール広場。写真:筆者撮影)


 「反ムバラク政権」コールが耳をつんざくタハリール広場の真ん中に『エジプトの青年有難う。フェイスブック』と書いたプラカードを持つオジサンがいた(写真上段)。ムハマードさん(50歳)。フェイスブックもメールもやらない。日本にもいる典型的なアナログ親父だ。

 ムハマードさんは、若者たちがフェイスブックで「ムバラク政権打倒」を呼びかけ蜂起した1月25日から、タハリール広場を動かない。家にも帰っていない、という。

 「ムバラク政権下何も自由はなかったが、若者たちがフェイスブックで立ち上がってくれたんだ」。ムハマードさんは筆者に向かって声を張り上げた。

 彼は失業者ではない。文部省に勤めるれっきとした国家公務員だ。日本の新聞・テレビがことさらに伝えるように失業者・貧者ばかりが集会に参加している訳ではない。ムハマードさん同様25日から広場を離れない男性(42歳)は貿易会社を営む。

 ムハマードさんに「公務員が反政府集会に参加したらクビになりませんか?」と尋ねた。

 「仕事も金も要らない。欲しいのは自由だけだ」。ムハマードさんは吐き出すように答えた。

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携帯電話への充電。凄まじいタコ足だ(6日、タハリール広場。写真:筆者撮影)


  軍も携帯メールで国民に伝言

 携帯電話と充電器が小山のように積まれている。スマートフォンあり、従来タイプありだ。その周りは人だかりができている。中古品の叩き売りでもやっているのかと思って近づくとそうではなかった。携帯電話に充電しているのだ。(写真下段)

 当局がウェッブ回線を遮断した後も人々は携帯メールで連絡を取り合い、タハリール広場に集まった。

 軍も外出禁止令の時刻変更などを国民に報せるのに携帯メールを使う。ネットは権力にとっても必要不可欠なコミュニケーション・ツールなのである。今回は若者たちが、そのツールを最大限に利用した。

 エジプトの回線事情は日本より遥かに悪いが、ネットの力は想像以上に大きかった。
「ネットが火をつけた市民革命」と言って間違いない。
 

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2011年02月05日

【カイロ発】 ムバラク去るまでタハリール広場の地響きは続く

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「ムバラク打倒派」の青年。この頃までは「戦車と兵士込み」で撮影しても拘束されたりはしなかった。(3日、タハリール広場。写真:筆者撮影)


 アラブ世界はもとより国際社会を揺るがすタハリール広場の集会は12日目に入った。ムバラク大統領は次々と条件を繰り出し仲々政権の座を去ろうとしない。

 「打倒ムバラク派」と政権との戦いは持久戦の様相を呈しつつあるが、数万人規模の集会は一向に沈静化する気配は見えない。ばかりかボルテージは日増しに上がっているようだ。筆者は広場から南へ1キロ足らずのホテルに投宿している。部屋まで飛び込んでくる「ムバラク去れ!」の怒号は大きくなる一方だ。

 反政府集会をネットで呼びかけたのは、「4月6日青年行動(6April Youth Movement)」という組織である。08年の4月6日に教育レベルの高い若者のグループがフェイスブックで最低賃金の引き上げを求めるゼネストを呼びかけた。組織名はこの日付にちなんだものだ。

 「4月6日青年行動(6April Youth Movement)」は、現地では「チーム1月25日」とも呼ばれる。この日に反政府集会を始めたからだ。言論の自由などなく秘密警察の目が光るエジプトで「ムバラク打倒」を呼びかけるのは決死の構えが必要だった。

 長期独裁に息を詰まらせながらも声をあげることのできなかった市民がネットでつながり、彼らの呼びかけに反応したのである。

 市民革命の砦となったタハリール広場では、金曜礼拝のあった先月28日頃を境に「チーム1月25日」とムスリム同砲団とが入れ替わったと言われている。タハリール広場の集会で指導的な役割を果たす「チーム1月25日」の内実は、エジプト最大の反体制勢力であるムスリム同胞団と見る向きもある。
 
 米国のあっせんでスレイマン副大統領を中心に「新政府協議会」のようなものを本格化させようという動きが顕著だ。だが、ムスリム同胞団はムバラク大統領が国外に去るまで協議には応じないとしている。

 ムバラク大統領が権力に執着する限りタハリール広場の地響きは収まらない。


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【カイロ発】 外国人ジャ−ナリスト受難

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山刀と棍棒で武装する「ムバラク支持派」の男性たち。(3日、エジプト考古学博物館北側の地区で。写真:筆者撮影)


 タフリール広場とその周辺はジャーナリストにとって惨たんたる状況となっている。3日、外国人ジャーナリスト数十人が軍に身柄を拘束され、多数が群衆に棍棒で殴られるなどして負傷した。

 軍がいきなりジャーナリストを拘束するよりも、群衆が軍にジャーナリストを突き出すケースの方が圧倒的に多い。4日、筆者も突き出され現地コーディネーターが拘束された。

 群衆とは「反ムバラク派」と「ムバラク支持派」の両方である。ジャーナリストを軍に突き出したり、暴行を加えたりする理由は次の通りだ―

・「ムバラク打倒派」の場合:
 ムバラク政権を倒すために外国からカネをもらっているという説がある。これを打ち消すために外国人ジャーナリストを軍隊に突き出す。

・「ムバラク支持派」の場合:
 外国人ジャーナリストを「ムバラク打倒派」の支援勢力とみなしているようだ。ジャーナリストを敵の一味と見て軍隊に突き出す。

 カメラを手にしたジャ−ナリストに対しては別の心理も加わる。3日、エジプト博物館を挟んで北側の地区で、筆者はムバラク支持者の男性2人の後ろ姿、それも腰から下だけを撮影した。1人は山刀、もう一人は長さ1メートル余の棍棒を手にしている。 
 
 棍棒を手にした男性がいきなり走って来て喚き散らした。「お前が写した写真が公開されたら、俺の顔を見た警察から逮捕されるじゃないか。写真を消せ」。コーデネーターが上手にとりなしてくれ、筆者は難を逃れた。

 現地コーディネーターはアブダッラー氏。28歳と若いがなかなかのしっかり者だ。相手が日本人であっても高額の報酬など要求せず、困難な仕事を嫌な顔ひとつぜずこなしてくれた。氏がいなければ筆者は前出の「ムバラク支持派」からメッタ打ちにされていただろう。

 こんなこともあった。軍のチェックポイントでの出来事だ。筆者は戦車の上で新聞を読んでいた兵士を取材車の中から撮影した。車中からなので大丈夫だろうと思っていたが、別の兵士が見ていた。兵士は「カメラを出せ」とジェスチャーを交えて迫った。代わりに撮影画像の入ったチップを渡したが、それでも聞かなかった。兵士は「カメラを渡せ」と強硬に要求した。

 筆者は没収されるものと諦めたが、ここでもアブダッラー氏が上手にとりなしてくれカメラを失わずに済んだ。

 だが氏の神通力も長く続かなかった。タフリール広場に向かう長い人の列を撮影していると初老の男性が大声で怒鳴りつけてきた。大変な剣幕だ。男性はすぐ近くのチェックポイントにいる軍に通報したようだ。部下3〜4人を引き連れて駆け着けて来た軍の現場指揮官は筆者に「撮影画像を見せろ」と命じた。

 写っているのは「長い人の列」だけで問題はないだろうとタカをくくっていたが、そうではなかった。現場を移動する際に撮影チップを代えるのを忘れていたようだ。焼き討ちに遭った警察署の画像も含まれていたのだった。「これは何だ」、指揮官の表情が一瞬にして険しいものに変わった。

 日本人の筆者はその場から立ち去るよう命じられたが、アブダッラー氏はそのまま拘束された。その後拘束を解かれたとの報せが氏から筆者の携帯に入り、ひとまず胸を撫で降ろした。軍は拘束を解く条件として筆者のコーディネーターを2度としないことを告げたという。

 アブダッラー氏は後任を紹介すると筆者の目の前から消えた。氏には申し訳ない気持ちで一杯だ。


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posted by 田中龍作 at 03:36| Comment(1) | TrackBack(0) | エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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